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カローラの白い車体の右側方に、赤がわずかに滲んで見える。
「あいつ今朝は来てたのか 。」
彼女が海に来て、短編小説一編を読み終わり、俺の帰りを待ちきれず一人で帰る時には、カローラの右ドアミラーに赤いタオルを巻き付けて帰るのが、この冬の習慣になっていた。
ここ1か月、彼女がほとんど海に来なくなった状況を「いつもの事だ」と気に止めないふりをしてきたが、先週、珍しくカローラの助手席で本も持たずに俺を待っていた彼女が
「話したいことがあるの。」
といつになく真剣な表情で言ってきた。
俺は、ただ、面倒な話になるという直感と、カーラジオの明日の天気予報が気になり
「ああ、なに。」
と生返事を返した。
ラジオに耳をそばだてつつ、沈黙が長く続いていることにやっと気付き助手席を見ると、彼女は何も言わずに車を出ていき、自分の車で帰ってしまった。
泣いていた?
一瞬見た横顔から、そんな気配が伝わってきた。
明日の天気は晴れ
風は、風は、何と言っていたか。
聞き逃してしまった。
涙の訳も、聞き逃した。
ならば、電話の一本架ければよいものを、「次に会った時に聞けばいいさ」と自分を誤魔化す。
そんな矢先の赤いタオル。
もうカローラにはいないだろうが、その赤色が胸に迫り、パドルを漕ぐ腕に力が蘇る。
「一編読み終わる頃には上がって来て。」
そんな彼女の願いを叶えてやった事はなく、今朝も間に合わなかったようだ。
彼女が何も言わないのは、俺を解ってくれているから。
そう思い込むのは俺の身勝手だろうか。
今も間に合わなかった言い訳を考えるが、何も浮かばない。
波がよかったから。
他に何がある。
今夜は電話してみようか。
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