悪路を鷹は行く

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 青年は羽織を脱ぎ捨てると、目の前の泉に足を入れた。泉の水は冷たいが雨に濡れるよりは幾分ましな気がする。青年は腰程の深さのところまで入ると水で身体を清め始めた。雨の日に水浴びとは滑稽極まりないが、そうでもしないとあの人に顔を合わせる資格さえ無い気がしたのだ。まあ、あの人以外に身体を許した挙げ句、賜ったものをみすみす燃やされた自分には、居場所どことかあの人と会う資格すらないのだが。身体を見下ろせば、至る所に殴られた跡、蹴られた跡ばかりだ。穢らわしい。自己肯定感などとっくの昔に地に落ちた筈なのに、次代としての矜持は穢れた己を許してくれないのだ。暴力を振るわれた跡を見れば、先程の凌辱の記憶が蘇り、青年は身体を震わせた。怖い、辛い、痛い。臆病な気持ちが一気に噴き出してしまう。頬を伝うものが熱く、青年は顔を洗ってそれを無かった事にしようとする。顔が冷えきってからようやく青年は泉から出て羽織を肩からかけ直した。べっとりと濡れて貼り付くがもうそれでいい。身体を隠せるなら十分だ。雨宿りする程の気力なんて無くて、己の刀を支えにして地に倒れないようにするだけで精一杯。青年は己の刀に縋るように、鞘ごと抱きしめる。父上、次代として頑張れなくてごめんなさい。桃香、こんな惨めな兄でごめんなさい。泉一、迷惑かけてごめんなさい。騰蛇、影縄、桔梗、こんな臆病者でごめんなさい。母上、楓、生き残った者として賢く生きられなくてごめんなさい。………若様、申し訳ありませんが一緒に祭りに行けないかもしれません。ごめんなさい。謝罪の言葉が青年の唇から溢れるが、それは雨音に消えていく。 「花火………一緒に見たかったなあ………」 そんな小さな願望すら雨音が掻き消していくのだった。
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