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「じゃあ、お母さん、行ってくるから。鍵をかけて出て行くのよ」
まだベッドで眠っている自分に声をかけた母親の声は相変わらず優しい。
沙織は横を向いて眠っているふりをしていたが、目は開いていた。
母親が出て行ったのを見計らい、そっとベッドから出る。
「毎日毎日同じことして、親ってバカじゃないの」
沙織は中学生で、親に対しては虫の居所が悪い年頃だった。
嫌いというより、学校という世界にいる自分はもう親の知っている自分ではなく、親よりも詳しいことも、親よりもできることだって出てくるのに、家族といるときの自分はいつまでも子供のようで、なんとなく反抗的な態度を取ってしまう。
「私は子供じゃない」
電気ポットでお湯を沸かし、インスタントコーヒーを淹れる。ブラックコーヒーも飲めるのに、窓から颯爽と歩くキャリアウーマンを見ていると、まだまだ子供のような気もした。
「……早く大人になりたい」
大人ってなんだろう。
沙織は母親が作り置きしていった卵焼きとサラダとごはんを弁当箱に詰めると、顔を洗って身支度をした。
おでこにできたニキビが、ハリのある肌が、いかにも中学生という感じで、沙織は自分の姿に幻滅する。
「来年は受験なのに」
早く高校生になりたい。
そのあとは大学生になって、早く社会人になりたい。
沙織は弁当を鞄につめながら、そういえば今日から水筒を持っていこうと思っていたのに、昨日は用意を忘れて眠ってしまったことを思い出した。
食器棚を開け、水筒を探す。
「あれ、ない」
母と父の分は置かれているが、自分のはなかった。
奥の方まで探してもないので母親が間違えて持っていったのだという考えに至り、沙織は深いため息をついた。
「もー。見ればわかるじゃん」
代わりに母親の水筒を持ち、キッチンに行った。
洗ってから使おうと思ったのだ。
母親の水筒の蓋を回しながら開け、シンクの横の食器乾燥機に目をやって、沙織ははっとした。
自分の水筒が洗って置かれていたのである。
まさか、と思い手に取って見たが、やはり水筒だった。
沙織は、自分はもう母親の知っている自分とは違うのだと思っていたが、そうではないのかもしれないという予感のような、閃きのようなものが頭をよぎってさっと消えて行った。
沙織はお茶を入れ、顔を上げた。
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