空っぽの部屋

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「良く見てみ。入り口のドアノブに砂埃がかかってるやろ。何日も人が出入りしてない証拠や」  示されたドアノブを近くで見ると、確かに目を凝らさなければ気付かない程の砂埃がかかっていた。壱弥さんが扉を開けるようにドアノブに手をかけると、それはいとも簡単に消え失せた。 「でも、放置されてるような郵便物はないですよ」  私が指摘すると彼は僅かに笑う。 「出入りがないのに郵便物が溜まってないってことは、郵便物だけが外から回収されてるか、ここに誰も住んでないってことやろ」  あくまで可能性とは言えど、ほぼ確証に近いそれは葵の心を掻き乱しているようで、彼女は目を游がせていた。  親友の居住場所を知っている安心感が一気に崩れ落ちたのだ。何より自分に一言も告げずに引っ越しをしてしまったという事実こそが、親友という絆に深く打撃を与えているのだろう。  私が気の効いた言葉も言えずに黙り込んでいると、涙を堪えている葵の黒髪を、壱弥さんが難しい顔をしながらくしゃくしゃに撫でた。 「自分の意思で立ち去ったんやったら、事件に巻き込まれた可能性は低いやろ。親友と無事に再会できる確率はうんと高くなったってことやで」  壱弥さんの言動は大雑把ではあるが、葵を励まそうとしていることは良く分かるものだった。  乱れた髪を直しながら、葵は「ありがとうございます」と泣き出しそうな顔で笑った。
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