851人が本棚に入れています
本棚に追加
「その刺繍は望さんの書を写し取ったものですよね。もっと早く気付くべきでした。栞那さんが持っていたあの短冊は、夕香さんのために書かれたものやったんですね」
栞那さんが持っていた短冊について、望さんは大学生時代の友人に頼まれて書いたものだと言っていた。それが、夕香さんであったということだ。
乾いた喉を潤すために、私はグラスの中のお茶を一口流し込む。
再度雲間から太陽が顔を出したのか、格子扉から差し込む光が少しだけ強くなった。
俯いていた夕香さんは躊躇いがちに口を開く。
「……望と偶然再会したのは七月の始めでした。次に会ったのは私が彼を誘ったからです。丁度、中秋の名月に間に合うようにこの着物を誂えようとしてた時で、好きな和歌を刺繍するのに望に文字を書いてもらえへんか頼もうと思ったんです。その時に、望から栞那さんについての相談を受けました」
私は、何も言わずに彼女の声に耳を傾ける。
「望が栞那さんの浮気を疑ってることを知って、私が栞那さんの調査をするのはどうかって彼に提案しました。栞那さんと私の面識がないことを利用して。……短冊は、調査のお礼にって望が言うてくれたんです。何度も直接会ってたのは、情報と短冊のやり取りをするためです」
彼女の供述は予想通りのものであった。
「栞那は僕らが会ってる姿を見てしまったから、反対に僕の浮気を疑ったんですね」
哀しい表情で、望さんは告げる。その言葉を否定するように、私は小さく首を振った。
「確かに栞那さんはお二人が一緒にいるところを見ています。それは彼女が依頼を持ち込む際に話してくださいました。でも、話を聞く限り、彼女の様子が変化したのは一度目と二度目の間ということになります。たった一度の出来事で、それもただ楽しく話をしてただけで、浮気を疑うなんて普通ではあり得ないと思います」
栞那さんが望さんの愛情を疑ってしまったのは、その出来事だけがきっかけになったわけではない。そう、私は感じていた。
最初のコメントを投稿しよう!