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§9
日曜日の午後九時だが、「夜の猫」は開店休業状態だった。がらんとした店内にはBGMの管弦楽曲が虚しく流れているばかりだ。
「今日は早じまいかなあ」
稲村が眼鏡を外して、眉間をぎゅっと揉む。
「こんなこと言ったら怒られるけど、正直、犀利さんが出張でよかったよ。さすがに今日は報告をするのが心苦しい売上になりそうだ」
苦笑交じりに片瀬の名前を出されて、雫はセメントでも飲んだみたいに喉から下がずしりと重たくなった。
あれから片瀬とは顔を合わせていない。昨日の朝も、出張に出かける片瀬を見送りもしなかった。スーツケースのキャスター音が門の外へ遠ざかっていくまで、ベッドの上から起き上がる気になれなかった。
いつになく仕事にも身が入らなくて、店が暇で助かった、などと不謹慎なことを考えてしまう。
「埒が明かないな。稲村、ちょっと私服に着替えてきてそこに座れ」
所在なげに厨房から出てきた長谷川が、カウンター席の手前で顎をしゃくった。
「は? なんで」
「無人の店なんて入りづれえだろ。しばらくサクラやれ」
「サクラ?」
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