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「醸造家のパオロさんは大のサッカー好き。地元クラブがセリエA昇格を果たしたこのシーズンは、ワインの出来も最高だったはず」  この調子で、ワインの味とはまったく関係ない話を含めた説明が延々と続く。 「なるほど……これは、ビールだけで帰りたくもなるわけだ」  店に入るなりこんなものを渡されたら、よほどマニアな客でない限り完全に引く。 「藤倉君、どうかした?」 「いえ……なんでもありません」  とはいえ、オーナー自ら、それも相当に手間暇をかけて作ったであろうものに、初日から正面切って文句をつけるわけにもいかない。  当面は、雫自身が客へのワインの勧め方を工夫してみるしかないだろう。採用の経緯がやや不本意だったとはいえ、雇われた以上は自分にできる最善を尽くすつもりだ。  白シャツに黒のスラックス、ボルドー色のカフェエプロンという店の制服に着替える。  桜の花びらがはらはらと散る麗らかな春の宵だ。 「今日みたいに春らしい日の一杯目には、モスカート・ダスティなんていかがですか」  ちょっとした辞典のようなワインリストを手に途方に暮れている様子の二人連れの女性客に、雫はさりげなく声をかけた。 「イタリアの甘口微発泡ワインで、マスカットの爽やかな香りが楽しめますよ。アルコール度数低めなので、一杯目にはぴったりです」     
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