§1

6/7

504人が本棚に入れています
本棚に追加
/82ページ
 透明感のある深いルビー色が、グラスの中で宝石のように輝く。だが、口に含むと渋味も酸味も穏やかで、意外なほど優しく柔らかい味わいだ。フルーティな香りの奥にアーモンドのようなコクが感じられる。  過去の味の記憶の中から似た特徴を掘り起こし、頭の中のワイン辞典のページをめくる。 「リグーリアかピエモンテのドルチェット」  片瀬がひゅう、と高く口笛を吹いた。 「よくわかったな。ピエモンテ州の、家族経営の小規模な生産者が造っている」  ピエモンテの赤といえばバローロやバルバレスコといった重厚なワインが有名だが、地元の人々はむしろ、もっと手軽なこういうタイプの赤ワインをよく飲んでいるらしい。 「溌溂としててバランスもいい。前菜からセコンドまでなんにでも合わせられそうだ」  独り言を呟いていると、正面から裁定を下すような声が降ってきた。 「採用」 「は?」 「気に入った。明日からうちで働け」  一方的に告げると、片瀬は組んでいた長い脚をほどいて椅子からひらりと立ち上がる。 「え、あの。俺はまだ、ここでお世話になりたいとは一言も」 「従業員応募の面接に来たんだろう?」  態度こそ横柄だが、明らかに片瀬の言い分の方が正論だ。あなたの様子を見て気が変わりました、とはさすがに言えない。  立ち上がった片瀬は、逃げ道を塞ぐように上から雫の顔を見下ろしてくる。 「それとも、セクハラの心配か」 「は?」     
/82ページ

最初のコメントを投稿しよう!

504人が本棚に入れています
本棚に追加