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(……やだ、私。泣いてる……?)
頭上から冷静な自分が自分を見下ろしている。なんで泣くのという反発に、頬をつたう涙はびくともせず止まらない。
ファン達が熱狂するその曲はバンドの名刺と言える代表曲だ。美也子がユウキを好きになったきっかけでもある。間奏に差し掛かると、一小節のメロディがユウキの指によって鍵盤の上でかろやかに踊り、反復される。電子音のリフを受け止めた途端、すとん、と美也子の胸が空洞になった。
(ああ、好き。大好き)
体内の水分は涙で大量に蒸発させてしまったものの、軽い脱水症状は快感ですらあった。激流に押し流され、長い年月をかけて表面を磨かれた小さな小石になった気分。
今死ねるなら本望だ。
澄み切った想いが、美也子の頭から足まで充満していた。
「美也ちゃん、さっき泣いてたね」
伊藤沙和はちらりと美也子を見遣り、にんまりと丸い頬を弛めた。手には、禁煙宣言して三ヶ月、結局やめられない煙草をくゆらしている。
シャム猫を思わせる釣り目が印象的な沙和がにやけると、三十路過ぎと思えないほど表情は幼く、意地が悪い。
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