一人称短編

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俺は人のあたたかみというものが嫌いだ。物理的な体温も、その精神もだ。 別にこれは潔癖症だとかそういった類のものではない。 見慣れた帰路が、真冬の夜空に溶けてゆく呼気に霞む。俺はそのさして意味を持たない景色を眺めながらさして意味のないことを考えて、しんと肌を刺す寒さから気を削いでいた。 「ただいま」 明かりの灯った自宅に帰ると、外気に晒されて冷え切った顔面がヒリつく痛みを伴っていっぺんに温まってゆく。この感覚も好きではない。 「おかえり」 「あぁ…」 「うわ、冷たっ。夕飯もうすぐ出来るからね」 独り身のときにはなかった明かり、部屋の温もり、それとこの、迎えられる人肌。避けてきたもの達が眼前にある、恐怖にも近しい感情は筆舌し難いものがある。 ヒリヒリと痛みながら体温を取り戻してゆく頬に唇が触れ、嬉しそうに笑う顔が視界を占領してくる。そちらの頬だけ一層ヒリついた気がして頬を摩ったらようやく拘束を解いてもらえたのだが、その面白そうにニヤつく顔はいただけない。 「顔、真っ赤だよ。ふふ、可愛い」 コロコロと笑ってキッチンへと消えてゆく背中に重石のような言葉を寄越されて地に伏せなかった俺は多分偉い。 人のあたたかみは瞬時に人を熱する。 こんなにも容易く、己の体温や思考が他人によって左右される現象が日常生活の中にあって良いものなのだろうか。この部屋にある全てが、俺という人間性を崩壊させる。 コトコトと鍋が踊る音と、腹を刺激する香辛料の香りがリビングに漂っていた。 「鍋か」 「そう、キムチ鍋。好きでしょ?」 「あ、あぁ…」 「お豆腐とおネギたっぷりだよ!」 指を2本立てて自慢気な顔をされてもだな…。 確かにキムチ鍋は好物だ。とりわけ豆腐とクタクタのネギが好きで、猫舌な俺にとっては凶器と言っても過言ではないそれを味わうために己の肉体と精神との激烈な戦いを繰り広げるのが常だ。 が、しかしそれを敢えて伝えたことは無かった筈だが…愛情が持つ透視能力というものは凄まじい威力があるようだ。 俺も得たらしいその力が"褒めて"と語りかけてくるものだから、既に俺は俺という人間性を手放してしまっているのかもしれない。 やっぱり、俺は人のあたたかみというものは嫌いだ。 おそらくは部屋に温められたからだけではないむず痒いぬくもりに独りごちた。
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