眠れぬ夜

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一体、温もりを知っているのだろうか、俺は。本当の意味で。 そんなことすら、分からなくなっていた。冬の夜、眠れずに起きだして、点いてもいないテレビの前に引き戻されると、そんな気分になってくる。 むしゃくしゃしても仕方がない、そう言い聞かせても、スリッパ越しに伝わる床の冷えはどうしようもなくて。薄手のパジャマも冷え切った部屋の低温に全く対応できていない。ふと、泣きそうになる。大の大人だというのに? はあ……そんな風にいつから自分自身を揶揄することに慣れきってしまったのだろう。大の大人が泣きそうになってはいけないなんて、間違った社会通念に過ぎないのに。大の大人だって、泣きそうになってもいいはずなのに、なぜ。そんな自分にため息をついても、部屋は温まらない。 観念して、石油ファンヒーターのスイッチを押す。オンにしてしまったことで、これから小一時間は眠れやしません、と認めてしまったような気がして妙な敗北感が心に漂う。 しかし、寒い。背に腹は変えられない。 ほとんど無意識に、深夜の映画の再放送を無心で見つめる。 こうして、心を空っぽにする時間も、現代では、作ろうと思わないと作れない、作ろうと思っても作れないほどに、タスクの洪水、情報の洪水だ。日常では。 今では、定額動画サービスを使えば、好きな時間に好きなだけ好きな映画が見れる。だから、ランダムに放映されている再放送を眺めるというエンカウントの機会さえ、失われていた。そんなことに気がつく。そして、狙って見てはいないはずの、目の前の映画にホッとする自分がいた。 1990年代の任侠もので、火薬の量がはんぱない。それだけで、いとも簡単に心がほぐれてくる。規制という言葉を、ねじ伏せることができた時代なのだろう。たまには懐古も悪くない。この気持ちのおかげで、明日を見る気分になれたりするんだから。 カップに飲み物を入れる元気が出てきたので、椅子から立って、温かい飲み物を入れる。自分のための、小さなご褒美。小さな一杯。なんてことない瞬間から、温もりは得られたりするもんだ。マグカップをすすりながら、ほんの少し眠気に襲われた自分がいた。 おや、思ったより、本日のところは、眠れぬ夜との格闘は長引かないかもしれないな……。  出力全開のファンヒーターが、うなりを上げて、部屋を温めていた。 fin.
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