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桐子の昔話
「おばあちゃん……」
主人は大正モダンな家の自室にたどり着くなり畳に座り込んで、祖母の眠っている手鏡を覗き込んで話しかけた。古い屋敷は風通しがいい。どこからともなく空気が流れ、自然に汗が引いていく。
「なぁに」
主人の祖母、桐子がふいに目を開けて鏡の中から返事をした。
「おばあちゃん! 起きていたの? 珍しい!」
「もう。いつも寝てばかりいるみたいに言って」
桐子は苦笑したが、実際のところは桐子が起きている時間はほとんどない。しかしほんの一年前には鏡の中にいても起きていることが多かったし元気そうだったのだ。さらにもっとずっと前には、来日したばかりで友達のいなかった幼い主人の話し相手を、一日中してくれていたのだ。
鏡の中に祖母がいる、それは「普通」の事ではないが、主人の記憶の中の桐子は初めから鏡の中にいた。それに友達もいなかったので、他の誰かと比べることをしなかった主人にとっては、祖母が鏡の中にいることはごく自然なこととして受け入れられていた。
そして主人が少し成長し物心がつく頃には、桐子が鏡の中にいることで主人に充分な事がしてやれない、と気に病んでいることがわかるようになっていた。だから「なぜ」鏡の中に閉じ込められているのか、と桐子に問うことはこれまで一度もなかった。
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