桐子の昔話

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 「昔々、人里離れた山の奥の奥のずーっと奥に湖があった。湖の水は澄んでどこまでも見通せたが、それでも湖の底は全く見えないほど深かった。風が水面を撫でても、湖にはさざ波が立たず、雨がふっても波紋は浮かばないので、いつも美しい水が鏡のように満ちていた。  ある時、人の国で戦が起こり、命からがら逃げてきた女の戦士が、森に迷い込みこの湖に辿り着いた。女戦士は疲れた体で湖に体を乗り出し、顔を湖の水につけてごくごく飲んだ。  水は女戦士の喉の渇きを癒すばかりか、体の傷も疲れもすっかり消し去った。女戦士は湖を覗き込み感謝を述べた。そしてあまりにも美しい湖に魅せられて、褒めたたえた。  するとね。湖から水の体をした鬼が出てきたの」  「鬼?」  「鬼神かもしれないね。だけど自分では鬼だと名乗ったそうだよ。体は美しい水で形づくられ、その水は絶えず巡り光を反射しそれは美しかったそうだよ。  そして鬼神は、『この湖は鬼の鏡だ。鬼の持ち物を勝手に飲んだな』と言った。  女戦士が水の鬼をまっすぐに見て、『どうせ戦で落とす命なら、美しい水神様に捧げとうございます。もしも私の体で不思議な水のお代のお釣りがくるならば、どうぞ水神様のお力で戦をおさめてください』と答えると、鬼は馬鹿なことをと笑った。  『お前の体などで精命の水の対価になるものか。命などもらってもつまらぬ。  しかし差し出された供物をただ断るのもやはりつまらぬな。さて……。  おお、そうだ。この湖の水は人の目に見えないものも、人の心の中の秘密も映し出す。湖の中におればなんでも見えなんでも分かるが退屈なのだ。  お前に湖の鏡の力を宿した二枚の鏡を授けよう。善をなすなら白の鏡に、悪を為すなら黒い鏡に入るがよい。影がお前の望みを叶えるだろう。影を制御できるかどうかはお前次第だがな。白の鏡に善が、黒の鏡に悪が満ちるまで楽しませてもらうぞ。  しかし気をつけろ、善と悪が満ちた時、お前がまだ鏡に入っていたら、二枚の鏡を見合わせるとお前と影は入れ替わる。ゆめゆめ忘れるな』そう言うと水がはじけるように消えてしまった」
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