キラルの扉

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 「じゃあ奏多はキラルの世界に行ってしまったってこと?」  主人が眉をひそめる。どうやって連れて帰ればよいのか、考えているのだろう。しかしそこへ紅霧が割って入った。  「だとしても、探しに行くのは単純なことじゃないんだよ。なぜかっていうとね、キラルの世界は、ただこっちの世界を映しているだけじゃないのさ」  紅霧は自分の手のひらを広げて、マホガニー色の艶々光るテーブルに映して見せた。  「ほら、私の手は右手。だけどテーブルに映ってるのは、私の左手の形だろう?」  「どういうこと?」  いつかが首を傾げると、一来が解説した。  「手を鏡に映すと、合わせればぴったり重なるだろ? だけど……、いつかちゃん、右手を出して。ほら、僕と向かい合ったいつかちゃんの右手は僕の左側にあるし、こうして手を合わせてみても、右手同士は親指が反対側にきちゃってぴったり合わない」  「あ、本当だ。つまり鏡の中の手は右手じゃないんだ……」  「キラルの世界はこっちの世界をそのまま映している訳じゃないってことだ」  「そういうこと。もしかしたら遺伝子が描く螺旋(らせん)すら、逆巻きかもしれないよ」  人差し指をくるくると回しながら、茶化すような口調で紅霧が言う。  『つまり、同じに見えたとしても、キラルの住人はエナンチオマーと呼ばれる鏡像異性体なのです。ヒューマンではない。そしてキラルの扉が閉められてしまったら……、鏡の時間は再び止まり、こちらの世界の時間は進みます。時間に置き去りにされたキラルの世界は……、ブラックホールに飲みこまれる、と言われています』
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