『キラルの世界』

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ーーそういえば、奏多ちゃんの影は大丈夫? ぐったりしていたけど、坂なんか登れるの?ーー  どうやら分が悪いとさとったいつかが話の矛先を変えた。  「平気。鏡の中にいる方がむしろ調子いい」  影のメゾソプラノの声ははっきりとしている。強がっている訳ではなさそうだ。  『鏡と影はどちらも映し身ですから、性質が似ているのでしょうね。例えば、陸にあげた魚を水に解き放ったようなものです』  そういう私自身も、先ほどから体が浮き上がりそうなほど軽い。  空には奏多の窓から見た乳白色のとろりとした空間が広がっているので、飛びあがりたいとは思わないが。  足元のアスファルトは硬く灰色で、リアル世界と変わらない感触だ。アスファルトは左右を変えてもほとんど変わらないからだろう。  道の両側に立ち並ぶ家の表札は、鏡文字になっている。この道をよく知っていたら、家の配置も左右が逆だということに違和感を覚えるのかもしれない。  「あら。奏多ちゃん。まだ部活の時間なんじゃないの? 一緒にいるのはお友達……?」  自転車に乗った女性がすれ違いざまに声をかけてきた。幅広のガウチョパンツに腰まであるふわっとした花柄のチュニック。完全に体型をカバーした服装だ。わざわざ乗っていた自転車を降りて話しかけてきた。
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