『キラルの世界』

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 主人たちを見ると、ちょうど奏多の家の玄関にたどり着いたところだった。奏多が家に入る前に、唇をかんでこちらを振り返った。  「早く行きな! エナンチオマーは冬矢じゃないんだ。キラルの扉が閉まったら、巻き添えくってあたし達もおだぶつだよ」  奏多の様子に気が付いた紅霧が、酒井君のお母さんのでたらめな拳を腕で受け、耐えながら叫ぶ。  奏多は目をつぶり、何度か深呼吸した。目を開けると、奏多はしっかりした口調で言った。  「うん、ごめん。あれは優しい冬矢さんじゃない。同じ顔の別人、いや、ヒトですらなかったんだな。皆を危険な目に合わせちゃって、本当に、本当にゴメン」 「そんなの奏多のせいじゃないよ! さあ、行こう!」  一来が励ますように奏多の肩を軽く叩く。  「皆で必ず“帰る”!」  主人がカニのポーズで指を曲げ、奏多に向けてフィンガークォートをしてみせる。奏多がキョトンと首を傾げて、カニ? と分からないままフィンガークォートを返すと主人は大きく顔を崩して笑った。  ピュリュは黙ってうなずくと、奏多の手をしっかり握って家の中に入って行った。  ホッとして紅霧と視線を交わす。しばらく時間を稼ぎ、いつかの扉の秒読みに合わせて、家にかけ込めばいい。
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