エナンチオマーを探せ

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 「そう! 秘密の場所を教えちゃってもいいんですかって、ボクも聞いたよ。そうしたらね、冬矢クンが『ここを逃げ込むだけの場所から、君と話したっていう良い思い出の場所にしてくれてありがとう』って言って笑ってくれた」  『逃げ込む……、冬矢はそう言ったのですか?』 「うん。冬矢クンのお母さん、成績が落ちたって学校に抗議したりしていたんだって。冬矢クンがそれを止めると暴れだすんだって言っていた」  奏多は眉間にシワをよせ、体を揺らした。  「冬矢クンはボクには言わなかったことだけど、ボク見てたんだ。文化祭の日、ボクと会う少し前にも、お母さんが何かしようとしているのを冬矢クンが止めようとしてケンカになって……。  お母さんは冬矢クンをひどい言葉で罵っていた。馬鹿だとかお前なんか私の子供じゃないとか恩知らずとか、ガリガリに痩せているのは自分への当てつけだろう、とか。それは酷かった。  冬矢クンはそれをじっと耐えていた。冬矢クンが黙っているから、そのうちお母さんは校舎に行ってしまった。  冬矢クンは投げつけられた言葉が、胸の中でやまびこのように繰り返し繰り返し、響いては打ち付けるのを、じっと耐えているみたいに見えた。だから冬矢クンが逃げ込む場所って言った時、理由はなんとなくわかったから、それ以上は聞かなかったんだ……」 『同情したのですか? 気の毒だな、と』 「違う! ううん、違わないけど、同情よりも、お母さんに酷く傷つけられた後なのに、ボクに優しくしてくれてすごいなって。憧れたんだ。冬矢クンの強さに」
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