『紅霧は突然に』

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 「一来がいないことがそんなに問題なのかい? ちょっとした用事かもしれないじゃないか」紅霧が口を挟んだ。  『そうも言っていられないのです。実は奏多から話を聞いたのですが、塩山中学校で連続暴行事件が起きているのです』  「ああ……。それなら知っているよ。暴行されたのは一番最初に奏多にあだ名を付けた奴らなんだ。奏多をさんざんからかうだけじゃ飽き足らず、机を修正ペンで塗りつぶして真っ白にした上に、あの酷いあだ名を黒いマジックで書いたりしていたんだよ。当然の報いさ」  紅霧は嫌な虫でも追い払うように手を振った。もともと奏多を黒の鏡に入れたのは紅霧だったのだから、事情をよく知っているのか、と思い当たる。しかしそれにしても、と浮かんだ疑問を投げる。  『なぜ暴行事件の被害者が彼らだと知っていたのですか?』  「キラル世界から戻ってきてから、奏多の家を隠れ家にしていたんだ。奏多には内緒でね。そうしたら暴行事件があった。奏多が熱心にスマートフォンでニュースを読んでいたから、ちょいと調べてみたのさ」  『知っているなら話は早い。そして奏多が依り代にしていた青いハンカチは、冬矢のものでした』  「当たり前じゃないか」  何を今更言っているのか、と紅霧は驚きのカケラも示さずに言う。  『それも知っていたのですか?』  驚いて聞き返す。  「知っていた訳じゃないけど、ちょっと考えればわかることだろう? いくらキラルの世界の事だと言ったって、もう一人の自分自身をほっぽって冬矢を救い出そうだなんて、好きだからに決まっているだろ」  『そうですか……』  いささか驚く。人の心の動きはいつも私の想像が及ばないところにある。しかし同じ影だというのに、紅霧はたやすく読み切っていたと思うと、穏やかではいられない。 「そのぽかんと開いた口を閉じなよ、フラーミィ」紅霧が楽しそうに笑う。「いい男が台無しじゃないか」 「失礼ですね。あくびをしただけです」  紅霧はちらりとからかうような流し目を送ってよこし、「一来がいないとなぜまずいんだい?」とそれ以上追及せずに話を移した。紅霧に若造のように情けをかけられ、思わずジャスミンの香りが漏れ出てしまった。人間ならば顔を紅く染めているところだろう。
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