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夕陽に光る細い糸に導かれ、時と戦う。もっと早く走れるはず、という感覚が焦燥感を煽る。西の空に残っていたオレンジ色が、刻一刻と色を失って褪せていく。
キラル世界のブラックホールに主人が落ちそうになったとき、私は光がない場所で無理に影の腕を伸ばした。あの時、千切れた影は永遠に失われてしまった。そしてその分、劣化が生じたのだ。私以外には気が付くほどではないわずかな劣化であるにしても。
わずかな。しかし今の状況の中では決定的な劣化に感じる。
しおり糸は、一来がいつも使うバス停からバスに乗ったことを示していた。バス停で一度途切れた糸は、車道に千切れて落ちていた。マミはバスから糸を流したようだ。途切れながらも糸は続いている。
やがてバスを降りると、そこからは徒歩で歩道を右へ左へ、ときに道を渡りながら進んで行く。
横断歩道を往復するしおり糸は、一来が困っている誰かを道の向こう側に連れて行ったことを示しているし、点字ブロックの上の幾重にも重なった糸によって、ブロック上に置かれた自転車を一来がどかしたことがわかる。
出会ったばかりのころに、コロッケをもらっていた肉屋にも立ち寄ったようだ。また肉屋のご婦人に呼び止められたのだろうか。
糸の道筋は、困っている人を見つけては自然に手助けしている一来の姿を浮き彫りにしていく。いつも通りの一来の姿に微笑みが浮かび上がってきたものの、すぐにもどかしさが取って代わる。いったい一来はどこにいるのだ?
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