『紅霧は突然に』

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 主人が一来の頬を両手で挟み下を向けないように固定し、顔を近づけて瞳を覗き込む。一来は主人を見つめ返したが、その見開いた目に、みるみるうちに涙が盛り上がった。 「ご、めん……」  突然の涙に驚いた主人は、反射的に一来の頬から手を引いた。そして転がっていたティッシュボックスを引き寄せると、数枚引き抜いて一来の顔に押し当てた。  涙がティッシュに吸い込まれて消えたかわりに、今度は瞳に浮かぶ苦痛があらわになる。  そして一来は、喉から声を絞り出すように言った。 「マミを……、死なせてしまったんだ」  その場の誰もが時間を奪われたように、動きを止めた。もしかしたら心さえも動くことを拒否していたのかもしれない。エアコンが動いている音と、近くの道路を走っていく車の音だけが響く。
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