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「た……」
たすけて、と言おうとしては、なんども口を開いては閉じるのを繰り返す。助けて、と言いたいのだろうが、顔を知っているだけの他人に我が子から助けて欲しいと訴えるのが、正しいことなのかわからないのだろう。
影とエナンチオマーの二人の冬矢が、こちらを振り返り同じ顔で嗤う。
「おや、ギャラリーがきたね、お母さん」右の冬矢が言う。
「早くどちらがホンモノの冬矢なのか、当ててよ。わかるでしょう? 仮にもは・は・お・や、を名乗っているんだからさあ……」
「あなたたちは黙っていろよ。答えを教えたりしたら……」
「教えたらどうなるって言うのよ!」主人が啖呵を切った。
「答えを待つ必要がなくなるからね、即座におかあさんには消えてもらおうかな」
「これでブスリ、といくよ」
左の冬矢が手に持っていた包丁を、表、裏、とかえして見せる。そして表情をまったく変えずに、たわむれにモンスターママの腕の横にドンッと包丁を突き立てた。背後の冷蔵庫に穴は開かなかったものの、大きな傷が付く。
モンスターママがヒッと喉を鳴らし、目を瞑った。包丁はモンスターママの袖をひき裂いている。
「あれぇ? 腕は切れなかったかぁ。まあ、いいや。早く答えてね。もう待てないからさ。ほら目を開けて、俺をよく見ろよ」
耳元で怒鳴られ、モンスターママは震えながら目を開けた。
しかし、その目に絶望が浮かぶ。どちらがホンモノなのかわからないのだ。当然だ。目の前にいるのは、エナンチオマーと冬矢の影。どちらもホンモノの冬矢ではないのだから。
しかしモンスターママはどちらかがホンモノなのだと思い込んでいる。右、左、と見るたびに混乱していくようだ。涙が浮かんでくる。
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