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「おや。まだ本体と入れ替わってもいないのに、おばあちゃんと呼んでくれるのかい? そんなに実体があるように見えるのかねぇ?」
唇の片方の端だけを歪めて、からかうような笑い声を喉の奥で鳴らす。
「おばあちゃんの、影……」
「ようやくわかったのかい」
二十代の姿には似合わぬ、しゃがれ声だ。
「あんたがおばあちゃんを鏡にとじこめたのね!」
「あんたじゃないよ、そうだねえ、紅霧とでも呼んでおくれ」
主人の部屋に置いてある鏡の中にいる桐子は、年相応に見える。優しげな瞳の中に、翳りのある上品な白髪の女性だ。
しかし目のまえに座っている紅霧は、若く美しいが、唇を長い舌がぞろりとなぞる様子は、まるで蜥蜴のようだ。ぬらぬらとした妖艶さがただよっている。
「私の方が、きれいだろ」
主人と私、なぜか鏡の中の祖母を見たことのない一来までが、いっせいに首を振った。
ひゅっと風切り音がなり、紅霧から鞭のように影が伸びてきた。主人を抱えて鞭を避ける。鞭は一来をなぎ倒し、何事もなかったかのように人型の一部に戻った。
『すみません、一来』
あなたのことを忘れていました、という言葉は飲み込む。
「いや、だ、大丈夫」
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