ライブ前

7/12

262人が本棚に入れています
本棚に追加
/311ページ
 「仕事を抜けてきているんですから、話が終わったらすぐに戻らないといけないんです」  モンスターママも負けじと言い返す。  「生徒たちも、この後塾があるので、時間が貴重なのは同じです」  浅葱先生は嘘を()いた。主人もいつかも塾には行っていない。  「本当なの?」  モンスターママは鋭くいつかに視線を移した。彌羽(みわ)学園は進学校だが、手厚い授業と私立ならではのきめ細かい補習があるので、塾に行っていない生徒も多い。  「は、あの、ええっと」  いつかが口ごもる。  「うるさいわね! 私たちが先だったのよ。廊下で待っていたら?」  主人の一喝が戦いのゴングとなって鳴り響く。  「なんですって?」ボリュームもトーンも一段階引きあがった。「目上の者に対しては、敬意を払う、と教えていないんですか?」  モンスターママは主人から視線を外し、浅葱先生に向かって言う。質問文なのに、みごとなまでの非難だ。  「順番はまもりましょう、ということは幼稚園児が最初に習うことがらだと思いますけど?」  浅葱先生が尖った氷のカケラを投げつけるように冷たく言い放つ。  「それは私が幼稚園児以下だと、そうおっしゃりたいんですかっ?!」  「そういうことになりますね。佐々さんが順番を守れないとおっしゃるなら」  ギシ。車輪の付いた椅子が音を立てて、浅葱先生が立ち上がる。細長い体が、背の高さを感じさせるのははじめてのことだろう。いつもは小さく体を丸めているのだから。  モンスターママを上から見下ろす浅葱先生の姿には、空気との境目にもやがかかり黒く透けていることに、一来がいたら気が付いたかもしれない。そして黒ダイヤのような輝きがわずかに濁ったことにも……。
/311ページ

最初のコメントを投稿しよう!

262人が本棚に入れています
本棚に追加