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「仕事を抜けてきているんですから、話が終わったらすぐに戻らないといけないんです」
モンスターママも負けじと言い返す。
「生徒たちも、この後塾があるので、時間が貴重なのは同じです」
浅葱先生は嘘を吐いた。主人もいつかも塾には行っていない。
「本当なの?」
モンスターママは鋭くいつかに視線を移した。彌羽学園は進学校だが、手厚い授業と私立ならではのきめ細かい補習があるので、塾に行っていない生徒も多い。
「は、あの、ええっと」
いつかが口ごもる。
「うるさいわね! 私たちが先だったのよ。廊下で待っていたら?」
主人の一喝が戦いのゴングとなって鳴り響く。
「なんですって?」ボリュームもトーンも一段階引きあがった。「目上の者に対しては、敬意を払う、と教えていないんですか?」
モンスターママは主人から視線を外し、浅葱先生に向かって言う。質問文なのに、みごとなまでの非難だ。
「順番はまもりましょう、ということは幼稚園児が最初に習うことがらだと思いますけど?」
浅葱先生が尖った氷のカケラを投げつけるように冷たく言い放つ。
「それは私が幼稚園児以下だと、そうおっしゃりたいんですかっ?!」
「そういうことになりますね。佐々さんが順番を守れないとおっしゃるなら」
ギシ。車輪の付いた椅子が音を立てて、浅葱先生が立ち上がる。細長い体が、背の高さを感じさせるのははじめてのことだろう。いつもは小さく体を丸めているのだから。
モンスターママを上から見下ろす浅葱先生の姿には、空気との境目にもやがかかり黒く透けていることに、一来がいたら気が付いたかもしれない。そして黒ダイヤのような輝きがわずかに濁ったことにも……。
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