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大学の春休みは少し早くきて、長く続く。平日のファミレスはガラ空きで、四人がけの席を二人で占領した。彼女はピンク色のふわふわの春用コートを脱ぐと、慣れた手つきで適当にサイドメニューとドリンクバーを注文した。
「飲み物、お茶でいい?」
「うん・・・あ、俺が行くよ。」
二つのグラスは自分よりふた回りほど小さい手には大きすぎるように思えてもうし出ると、彼女はフルフルと首を振った。
「んーん、アキトくんは座ってて。」
ウキウキとドリンクバーのほうに向かう彼女はとても楽しそうだ。やがてアキのお茶と自分のアイスココアを持って帰ってくると、まだ何もきていない大きなテーブルに両手をつき、アキのほうにグッと顔を近づけ、大きな目を二回、瞬きさせた。
顔が近い。
「なんか本当に違う人みたい。私の名前、覚えてない?」
寂しそうに聞かれても、首を縦にふることしかアキにはできない。本当に知らないのだ。
「・・・ごめん・・・」
「んーん、いいよ。私は中里愛理。愛理ってよんで。よろしくね。」
ふわりと微笑む柔らかさも、近づくと香る甘い匂いも、女の子だ。あまり女の子と接触のないアキはどうしたらいいのかわからずに目を泳がせてしまう。
「それで、君・・・愛理と俺はどんな関係だったの?」
いきなり過ぎただろうか。愛理は数秒うーんと考え込み、それから告げた。
「んー・・・、命の恩人?」
・・・前の俺は人様の命を助けるほど偉大なやつだったのか?全く実感がわかない。湊と過ごした幸せな記憶だけしかアキの中に残っていないからだろうか。
「詳しく聞かせてくれない?
・・・もしかして、なんか俺、事件に巻き込まれたりした?」
事件、というワードを聞いた途端に愛理の肩がぴくりとはねた。先ほどのにこやかな表情はいつの間にか消えている。
「お待たせいたしました。」
長い沈黙に、店員のわざとらしいほどに明るい声だけが妙に大きく響いた。
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