短編「春待つ乙女の肖像画」

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「ぜ、ぜ、全員、服を脱げ! 早くしろぉ!」 いつも不遜で尊大なあの太った男が、脂汗をかいて怯えている。 娼婦たちは鞭に打たれたように、急いで服を脱ぎ始めた。もちろん、エリスもそうした。 「あ……あれ……?」 隣の娼婦がまごついている。指が震えてボタンが外せないのだ。 「え、あれ……うそ……」 残虐公の兜がゆっくりと動いた。 ドク、ドク、ドク、ドク…………。 すぐそこにある死の予感に、心臓が跳ねあがった。 ――それだけはダメ!! (……!!) エリスは隣の娼婦のシャツに掴みかかる。 「え……?」 そして、ありったけの力を込めて、ボタンごと引きちぎった。 ドク、ドク、ドク、ドク…………。 エリスは心の底から祈った。 どうか、あの死神が私たちを見逃してくれますように……! 残虐公の兜は、またゆっくりと正面に戻っていった。 「全員、(こうべ)を下げよ――!!」 残虐公の側近の騎士が声高に命じる。 エリスたちには真っ赤な絨毯と、あられもない裸以外見えなくなった。 ガチャン、ガチャン、と金属がぶつかる音がする。 残虐公が歩いているのだ。 「名は……?」 すぐそこで、低いくぐもった声がする。 「エ、エマと申します……」娼婦は泣きそうな声で答えた。 「…………そうか」 そしてまた、残虐公は歩きだす。 ひとりずつ、こうして聞いていくのだろうか……。 そしてついに、エリスの番がやって来た。 「名は……?」 「エ、エリス……です……」 エリスは泣き出したい気持ちを必死に抑えた。 残虐公の兜がゆっくりと(かたむ)く。 「お前は先ほど、隣の女に掴みかかっていたな……。何か不都合なことでもあったのか?」 「い……いいえ! め、滅相もございません……!」 「…………」 「…………」 不気味な静寂が玄関ホールを包み込んだ。 誰もが、固唾を飲んで祈った。あるいは死を、あるいは生を……。 「(おもて)を上げよ。エリス」 顔を上げる。ただそれだけで眩暈(めまい)がした。 目の前にある兜の真っ暗な眼窩には、絶望と死が渦巻いていた。人間の温かさなど微塵も感じなかった。 「お前に決めた……」
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