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「龍輝…?」
女が出したその名前に、男の手が止まった。
動揺する心の内を表すように木々はざわめき、森は刹那、時を止める。
「何故」
「え?」
「何故、僕の名を知っている?」
男は声を震わせて訊ねた。
「…ありえない」
自問自答する男の脳裏に、十年前の惨劇がフラッシュバックする。
この地が水神村と呼ばれていた最後の日。
どこを見ても転がっている人、人、人。
それは自分の存在を知る全ての人が死んだ光景だった。
なのに何故、目の前の女は知っているのか。
鬼子と呼ばれ、たった一人生き残ったその少年の名を。
「あの日私達は生きていたからよ」
龍輝の中で錯綜する疑問を見抜いたかのように、女は答えを口にした。
その口元はどこか皮肉めいた歪みを浮かべている。
「残念ね。あなたを知る人間がまだ生きてて」
目を細めて笑った女は自分が優位に立ったと確信を得たのか、抵抗の姿勢を解いた。女の答えが信じられない龍輝は、包帯の下に隠した顔を歪め、睨みつけている。
「どういうことだ…」
すぐに自分を殺しにかからず、詳細を聞き出そうと問い返してきた事に対し、女は意外そうに龍輝を見返した。
「いずれ教えてあげるわよ。それまで足掻き続けてるといいわ」
再び禍々しい笑みを取り戻すと、言葉に呼応するかのように、女の周囲にある落ち葉が不自然に舞い上がり始めた。
風もないのに浮き上がる落ち葉は徐々に増え、まるでかき集めてきたかのように女の周りを取り囲む。
異様な光景に龍輝は辺りを見回して戸惑い、その事態を狙っていたかのように女は自分を包む落ち葉に身を隠していく。
「今日はあなたがいると確認できただけでもいい収穫だわ。…また会いましょう、殺し合うその日まで」
その声で我に戻った龍輝は、女を逃すまいとナイフを落ち葉の固まりに投げつけた。手元を離れたナイフは空しく舞い上がった落ち葉だけを切り裂き、塊の向こうへと落下した。
女を隠していた落ち葉の固まりは舞い上がる力を失ったのか、規則性もなくバラバラと地面に落ちていく。
そこに女の姿は影も形もなかった。
大量の落ち葉とその奥に転がったナイフを見つめながら、龍輝は一人呟いた。
「悪夢は…まだ続いているとでも言うのか…」
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