パリ、モンマルトル、クリシー

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 当時、イグレックは貿易商をしていた。マルセイユ、パリ、そしてモロッコやカイロなどのアフリカを行き来する生活だった。船旅が彼の肌を褐色に焼き、その身体をたくましくした。彼の扱う商品はよく売れたが、正直如何わしいものが多かった。捕獲を禁止されている動植物を、アフリカのブラックムスリムから買い取っては、マルセイユやパリの闇市で売っていたのだ。猛獣の毛皮はパリやロシアのブルジョアが喜んで買った。ときにはインドのマハラジャやアラブの王族が毛皮でなく生きたままを望むこともあった。大蝙蝠(こうもり)、大蜥蜴(とかげ)は中国人が漢方薬の原料として高く買って行った。特に白犀の角は幻の一角獣の角として信じられない高値が付けられた。  そのような違法な商品や動植物を扱っていたにもかかわらず、彼は顧客をだまして偽物を売り付けるようなことだけはしなかった。イグレックは彼なりに誠意を持って対応し、闇の市場での信用と、多額の利益を得ていた。法を守ることではなく、クライアントの要求に答えることこそが、若き日のジャック・イグレックにとっての正義であった。  そういった彼なりのモラルとポリシーは頑なに守られたため、彼と取り引きする相手、特に彼がアフリカから珍妙なものを買い付ける如何わしいような相手も、イグレックにだけはたとえ高価であっても“本物”を持ってくるのだった。彼らブラックマーケットの商人たち、つまりは“密売人”と呼ばれる連中とイグレックの間には完全な信用取引が成立していた。だから、ある日、ジャマラディーンというブラックムスリムの密売人が持ち込んだとても信じがたい(ブツ)に対しても、ジャック・イグレックは頭ごなしに有り得ないもの、と決めつけることができなかったのだ。
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