20区、ベルヴィル

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「笑わないな」 ジャマラディーンはジャックを見て言った。 「ああ。でも、信じちゃいない。だがな、知らないやつに琥珀の中に数億年前のサソリが閉じ込められることを説明できるか?さっきおまえが言った、世の中には驚きが満ちているってな」 イグレックは言った。  サソリの埋包された琥珀とジャマラディーンの不死の薬、偶然だがその大きさも色もとてもよく似ていた。カトリックであるイグレックとムスリムであるジャマラディーンは同じ言葉を思い浮かべていた。“神秘”という言葉を。 「それで、おまえはそいつを不死の薬だと信じているのか?」 ジャックは尋ねた。 「ああ。ばかばかしいとは思う。それでも、おれはこれが本物だと信じている」 ジャマラディーンは答えた。 「わかった。おまえが信じてもいないものをおれが信じるわけがないからな。ところで、仮にそれが本物として、ひとつ質問がある」 「なんだ?」 「ジャマラディーン、なぜ、おまえはそいつを飲まないんだ?たとえそれが本物でないにしても、おまえが本物だと信じているのなら、飲んじまえばいいじゃないか。それとも何かその薬には、その…」 「副作用か?」 「そうだ、副作用ってのがあるんじゃないのか?」 「ジャック、少なくとも、おれはこの薬をくれたやつを信用している。だから、こんなどう考えても偽物くさい“不死の薬”なんてものを何年も捨てずにとっておいた。この薬に何か副作用があるかどうか、おれにはわからない。ただ、こいつをくれたやつからは、そういった危ない話しは聞いていない」 「じゃあ、なぜ飲まない?」 ジャマラディーンはジャックをじっと見つめて言った。 「勇気がないからだ」 「勇気?死なない身体になる、ってことが恐ろしいのか?」 「もちろん、それもある。何百年も、何千年も生き続ける年老いた自分を想像できるか?生きることは、楽じゃない。それが数十年でなく、ずっと続くのは恐ろしくないか?」 「たしかにな。じゃあ、なぜ多くの人が不死の薬を欲しがる?」 「それは、生きることの恐怖より、死ぬことの恐怖のほうが、ずっと現実的だからじゃないか?ずっと生き続けているやつをおれは知らない。だが、人生の半ばであっけなく苦しみながら死んでいったやつをおれはたくさん知っている。死の恐怖は生の恐怖に比べるとずっとリアルだよ」
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