ネグレスコ

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 ゴールドフィッシュは、その老紳士に見覚えがあった。ネグレスコのレストラン、シャンテクレールで食事をしていると、いつも同じ窓際の席にその老人の姿を見つけることができた。男の妻は「シャンテクレールで毎日お夕食だなんて!」とうらやましがっていたので、忘れなかったのだ。 「今日は、お一人ですか?ミスター…」 老人は英語で声をかけてきた。銀色の髭の奥から発せられた声は、少し嗄すれてはいたが落ち着いた優しいものだった。 「ゴールドフィッシュです。金色の魚(ポワッソンドール)」 男は自分の名前をフランス語に訳して伝えた。フランス嫌いなはずの自分がそんな風に名前を紹介するのが、奇妙に思えた。そもそも相手は英語を話しているのだから、彼の名前の意味を理解していることは、最初からわかっていたはずだった。苦笑しながらゴールドフィッシュ氏は続けた。 「家内と娘はオペラ座で観劇中です」 「ゴールドフィッシュさん、イグレックと申します。せっかくお一人になられたところ、お邪魔ですか?」 「いえ、ムッシューイグレック、どうぞおかけください」  イグレック、アルファベットのYにあたるフランス語である。それがフランス人の名字として普通なのか、この国特有のエスプリによるソノッブなあだ名なのか、それとも名前を伏せたくてイニシャルだけを伝えたのか、ゴールドフィッシュにはわからなかった。しかし、老人のきさくな雰囲気からは警戒しなければならないような印象はまったく感じられなかった。 「じゃあ、お言葉に甘えて」 老紳士は男の前のソファーに深々と腰を降ろした。
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