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「ゴールドフィッシュさんは英国のお方かな?」老人もカルヴァドスを注文すると、そう切り出した。
「ええ、休暇でニースとパリに」
「すばらしい。イギリスはどちらから?」
「ロンドン、いえ、ブリストルです」
「ブリストル、港町ですな。私はマルセイユ出身、やはり同じような港町。ブイヤベースだけが名物な、退屈なところです」
「ニースへはお仕事で?」
「いやいや。もう隠居の身、ニースは老いぼれがゆっくり余生を暮らすにはとてもよいところですよ」老人は笑った。彼のカルヴァドスは瞬く間に半分に減っていた。
「老いぼれだなんて。とてもお元気そうじゃないですか」
「ありがとう。そう言っていただけるとうれしいです。この南フランスの太陽と空気のおかげで、たしかに外見はこのとおり元気です。しかし、老いぼれる、いや失礼、年をとると言うことは、もっと内面的な問題ですよ」
「心の若さ、ということでしょうか?」
「そう、そしてそれは生や死に対する意識の変化とも言えるかもしれませんな」
老人はカルヴァドスを空けると、同じものを注文した。
「ゴールドフィッシュさんは、今おいくつかな?」
「今年四十になります」
「ふむ。あなたは外見はハンサムでお若く見えますが、失礼ながらとても疲れて見える。もちろん、人は働けば疲れる。だから、休暇が必要で、あなたはニースに来られているわけですが」
ゴールドフィッシュ氏のグラスはいっこうに減らなかった。
「私は疲れて見えますか?」
「若い方はみなさん疲れておいでですよ。その反面とても元気でもある」
「疲れていて、同時に元気なのですか?」
「これは、矛盾していますな。“同時に”ではなく“交互に”、というべきでしょう。私たち老人はもう疲れることも元気になることもない。常にただ老いている、ずっと平坦で起伏がなくなってしまうのです。ところが若いかたは疲れたり、元気になったり、その繰り返しです。その周期が目まぐるしく変わる。数カ月のこともあればほんの数時間で変わってしまうこともある。それがなくなったとき、老いぼれたと感じるのですよ」
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