第2章

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 だから一層勉強するしか道はなかった。偉くなんかない。辛い現実から逃げ出して、どこかに、「東京」に行きたかっただけだ。  僕はただ、好きなものと一緒にいたいだけだ。そんな世界を求めている。好きなものを好きと言える世界。聞いてくれる人が、ただ一人だけいればいい。世界中に一人だけなら、きっと出会える、巡り合える。  もし、その人が女の子だったら、どうしたらいい? 好きなものは好きって言うように、好きな人に好きって言うのか。違う。では、好きな人は自分一人が好きなら、それでいいのか。それも違う。  好きな人と好きなものとは違うのか、同じなのか。「好き」は解けない難問で、会えない辛さに毎日苦しむ。好きということは、本当は呪いではなかろうか。  悶々と悩んでも、矢田さんから借りたコミックスはそのままで、返さないと罪悪感は増していく。彼女から連絡はない。  意を決して彼女に電話をしたが、出なかった。繰り返し電話をして、ようやく彼女につながったのは、さらに一週間後だった。  あ、阪口くん、と受話器から聞こえる矢田さんの声が何だか冷たい。それでも構わず、 「ずっと漫画借りっぱなしでごめん。返したいから、また新宿に出てこれないかな?」 「私、サークルで大学祭への発表の準備で忙しくて、当分、都心に出るのはムリ」 「吉祥寺で待ち合わせるのは?」 「それもムリ」  冷や汗が出てきた。しかし、ここで止めるわけにはいかない。 「じゃあ、僕が国立(くにたち)まで行くよ。週末に三十分ぐらい時間とれない?」 「それなら、土曜の六時なら、何とか……」 「じゃあ、国立(くにたち)駅の改札前で、土曜日の六時に!」  ほとんど叫ぶようにして、電話を切った。何とか電話は終わった。あとは会うだけ。       *  国立(くにたち)駅に降り立つと、すでに夏の空は夕暮れに変わりつつあった。空港の滑走路のように、幅の広い道が直線で伸びていて、街路樹の連なりを眺めていると、平衡感覚がおかしくなりそうだ。  ここまで来る間、ずっと吐気をこらえていた。緊張が増していく。電話での、矢田さんの不機嫌そうな声を思い出す。会いたくない。会いたいけど、会いたくない。漫画を返すだけ、返すだけ、と自分に言い聞かせる。  三分ほど遅れて、矢田さんが来た。白いワンピースの肩紐からのぞく肌が眩しい。 「私のアパートに来ない? 歩いて十分くらいなんだけど」
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