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一人暮らしの女性の部屋に上がる、ということに抵抗感を感じた。そもそも僕は、女性の家に遊びに行ったことがない。
「……いや、この辺の喫茶店にしよう…時間ないんでしょ」
僕らは駅前の喫茶店に入った。木目調の茶色と観葉植物の緑が目立つ店内に、客はまばらだった。
注文したアイスコーヒーを待つ間、矢田さんは無言だった。重い雰囲気。僕は何を期待していたのか。コミックスを返すだけなのに。
ありがとう、と漫画をテーブルに置いた。
「面白かった。特に、主人公の少年と姉との会話が、心にしんと沁みる感じで、よかった」
「……遅い。遅すぎるよ……」
矢田さんの口から出た、予想外の言葉は、何か苦しそうな響きだった。三週間も借りっぱなしだったから怒っているのか。ごめん、いま謝る、と口を開こうとした瞬間、
「ありがとう、私も好き……でも、もう変わってしまったの」
何が? 疑問を差しはさむ間もなく、笑顔で彼女が喋りだす。
先週、ESSの夏合宿で一週間千葉に行っていた、朝から晩まで英語漬けで大変だったけど、苦手を克服できたし、花火や海水浴の時間もあって充実していた、と語った。
おかしい。彼女が笑って話せば話すほど、僕は距離を感じていく。
「……それでね、きついこと言う先輩に、『ずっと好きだった』って告白されたんだけど、どうしたらいいと思う?」
「……意地悪するような人は、よくないんじゃないの」
「私のことが気になって、心にもないことを言ってしまうんだって。先輩は大人だし、私の知らないことをたくさん教えてくれるわ」
「……矢田さんが、いいと思うなら……」
それ以上言う言葉がない。
「そっか、やっぱり、そうだよね……」
彼女は淋しく笑った。
「…あ、もう時間だ。サークルのミーティングがあるの。こんな遠くまで来てくれて、ありがとう」
彼女は、代金を置いて席を立とうとした。
「もう一人で、大丈夫なのか?」
僕の問いに、彼女は一瞬真顔になった。さっきまでの笑顔が無理に作ったものだと、はっきりわかった。
「……淋しいって贅沢だった。‥私、甘えていたの。ごめんなさい、阪口くん、迷惑かけました」
そんなことない、矢田さん。君の甘えは、僕の救いにもなっていた。
「さよなら」
帰りの電車の席に、僕は死人のように座っていた。指一本さえ動かせない感じ。僕は、じっと自分の手のひらをみつめ、そのうち顔を両手で覆っていた。
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