第1章

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 街角から流れてきた曲に、雷に打たれたように、僕は、胸を締めあげられ立ち尽くした。スーツを着て汗を流しながら歩く、初夏の日。  僕は昔から、感動して、「つかまれて」しまうことがよくあった。深夜ラジオから流れてきた曲、誰かの車で聴いた曲、全く知らない曲だったのに、天啓のように突然、僕の心をとらえ、息もできないほどにしてしまう。 ーーねえ、この曲好き? いいよね。  そんな風に、感動を誰かと分かち合いたい。強くそう願った。  しかし、その願いは叶わない。分かち合い共有するどころか、今では、この曲好き、と口にすることさえできない淋しい大人になってしまった。  そんなことは想像もしなかった。いつか自分の胸の内を、思う存分語り合える人と出会えると信じていた頃の記憶が、曲と共に蘇る。  雨。1989年、東京の片隅でーー  僕は、学生寮の自室の窓から聞こえる雨音で目覚めた。暗い部屋で、鉄格子のような棒が入った、小さな窓から入ってくる光は、灰色の渦巻く煙のようで、懐かしかった。  ベッドの上で寝返りを打つと、毛布から文庫本だかコミックスだかが転げ落ちた。手を伸ばせば、部屋の両端の壁に手が届きそうだ。三畳の狭い部屋。コンクリートの冷たい壁。  狭い部屋だが、詰めれば六人は入れる。あの時、同じ間取りの先輩の部屋には、確かに六人入っていた。  それは、生まれて初めてアダルトビデオというものを見た時だった。気持ち悪くなるくらい衝撃的だった。  海外モノで、ストーリーもセリフもわからない。土俗的な音楽と共に、黒人の男が登場し、白人の女の性器に口をつけ舐めまくると、女は快感にあえぎ、黒人の巨根が女の性器にあてがわれ、ゆっくり挿入されていくと、女は感極まって黒い体を白い腕で抱きよせる。白と黒の体が密着して、動き出すーー  思い出すだけで股間が重くなってきた。快感の絶頂で、男と女は一つになっているように見えた。激しく惹きつけられながら、不安も感じていた。僕にこんなことができるのか。  これ以上は寝ていられない。一限目には間に合わないが、大学に行こう。身支度して玄関に降りた。もう雨は上がっていた。ガラス戸を通して、光がロビーの床に落ちている。
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