大雪の自転車男

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大雪の自転車男

 札幌では雪まつりも終わり、春めいてきたと思ったら、二月も末日に帳尻合わせするかの様に嘘みたいな大雪だ。遠くでは、雷も鳴っている。こんな夜は、あの噂話を思い出す。聞きたいか? そうだろ、お前もその手の話は好きだろうと思ったよ。まぁ、飲みながら聞いてくれ。  その噂話とは、「地下鉄東豊線沿線の某大学の近くで、こんな若い男性を見かけたら注意した方がいい」というものだ。これだけでは、いったい何のことか分からないだろう。当然だ、ここまででは回覧板の不審者情報に遠く及ばないからな。ただし、その男にはいくつか特徴があるので伝えておこう。なに、メモは取らなくていいよ。しかもスマホじゃなく箸袋って、お前ねぇ……。  まあ、いいや。  それは、大雪の夜なのに自転車に乗った男の噂だ。歳の頃は二十代といったところか。ただ無為に自転車に乗っている、という訳ではないんだ。片手には透明のビニール傘を差していて、無灯火。そしてあろうことか、ヘッドフォンで音楽を聴きながら運転しているらしい。暗いのに色の濃い眼鏡をしているらしいとも、咥え煙草らしいとも聞いた。  道路交通法としては完全にアウトな条件が勢揃いなのだが、何より怖いのはその男性は自分が亡くなっていることに気が付いていないということだ。ただフラフラと自転車を漕いでいる訳ではなく、ある目的地に向かっているそうなのだが、それは自宅だとか霊園だとか噂では憶測の域を出ないんだ。  だが本当っぽい話も実しやかに囁かれていてな、その男性に呼び止められたことがあるって奴が何人か存在するらしいんだ。そいつらの話に共通するのが、男にスマートフォンの地図アプリを見せられて、ここに行きたいんだがと尋ねられたというんだ。その場所というのが、その大学から数百メートルほど離れた場所にあるイベントホール。なんてことない近代的なホールさ、何かのイベントかコンサートにでも向かっていたのだろう。道を尋ねられたら、身振り手振りで案内をすると事なきを得るそうだ。  ただし、気を付けろ。その地図アプリにはイベントホールに続く道程に赤いバツ印がひとつあって、そこは何かと尋ねるのは止めておけって話だ。恐らくは、そいつが亡くなった事故の現場なのだろう。いまも、花束が置いてあるとも聞く。その赤いバツ印を尋ねると、どうなるかって?  それは……、「俺は、そんなことは訊いていないんだ!」と声を荒げて、睨みつかれるそうだ。あ、驚いた? ごめん、ごめん。それと例え眼鏡越しでも、そいつと目を合わせるな。白濁した黒目と目が合うと、一緒に連れて行かれるんだそうだ。そう、イベントホールにではなく、肉体を失った死者の世界にな。  その噂話にチャレンジしたいかって? いや、俺は絶対に関わらないね。うん、そう。  ……お、もう帰るか。そうだな、今夜は飲み過ぎた。タクシーで帰るのか? そうか地下鉄最終には、まだ間に合うんだな。分かった。それとさっきの話な、お前んちの方だから気を付けて帰れよ。  したっけな、また会おう。
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