体表

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 いつものように、拙い文字を原稿用紙に這わせている。  空気は湿気を帯びていて少しばかり蒸し暑い。直に日が来れようかという空が縁側の向こうに映えて注意力が散漫になるのを感じた。  幸いにも蛙共は、終日静かにしていた。数少ない作家仲間の会話の中では、このような騒音対策について真剣に話合うのが季節柄定番である。或るものは猫を飼うと良いと言い、或るものは一喝すれば良いと言うのだが、どうも気に入らない。  そんな話合いが何年も続いている。  息抜きに莨を喫もうと外に出て吹かし始めた。湿気を帯びたチェリーは酸味が際立っていてとても旨い。もとより莨はあまり嗜む方ではないが、毎日欠かした事も無い。  それも偏に中途半端な人間の証だろうか、文壇では出世することもなく常に固定客を相手にしているようなものだ。  特に何があった訳でもないのだが、ここ数日は常にそんなことを考えているような気がする。  物書きに成ろうと思ったのは、谷崎に耽っている時間が好きで他にやりたい事も無かったから。ただそれだけ。  雀の涙程の原稿料では細々と暮らすのが精一杯であり、先の莨以外では特に金の使い道は生活必需品だけだ。  よって妻子もおらず、実家への仕送りも出来ていない。つくづく親不孝者だと思う。  後ろ向きな思考が筆に影響するのか、ここ何年かの作品を振り返ると陰鬱なものばかりで息苦しさを感じる。  やがて雨が振り出してきたので、足早に屋内へ戻る。  夕食を食べつつ一日を振り返ったが、これといって印象に残るものは無い。昼間は眠気が酷くうたた寝してしまっているので筆が進まないのだ。  それというのも、ここ数日虫に悩まされているためだ。蚊や蝿等では無く。もっと獰猛な奴が家中を、時には寝ている私の体の上をずりずりと毎夜毎夜這い回るのだ。  既に外では日が落ち、真黒な体表で視界を遮られたようだった。    
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