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俺は知らなかった。
そんな毎日の中で、綾を不安にさせていたなんて。
「水野主任」
昼休み、社食にいた俺に綾の友達の由香ちゃんが声をかけてきた。
随分、深刻な表情だ。
「どうした?何かあったのか?」
「何かあったのは、主任の方じゃないですか?」
「ん?どういう意味だ?」
由香ちゃんはちょっと声をひそめた。
「毎日、なんの用で病院に行ってるんですか?」
なんで、由香ちゃんがそのことを知ってる?
確かに、綾の妊娠がわかった日に蓮の見舞いに行くところを綾に見られている。
でもそれは、大学の同級生の見舞いだとちゃんと説明した。
「女ならともかく、男性が毎日、ただの同級生の見舞いにいきますか?
本当は、その同級生って、主任の元カノとかじゃないんですか?
綾が、心配してるんです。私も、同級生の見舞いに毎日行くなんて、納得できません」
「毎日なんて……」
「行ってますよね?仕事が終わった後。綾、妊娠して嗅覚が過敏になってるみたいで、主任のワイシャツに移ってる消毒液の臭いに、ちゃんと気づいてるんです」
盲点だった。
まさか、臭いで気付かれるなんて。
どうする。
本当のことを言うか?
由香ちゃんなら、蓮と綾が付き合い始めた経緯も、別れた経緯も聞いているはずだ。
本当のことを話せば、きっと納得してくれるだろう。
でも、綾の耳に入らないとも限らない。
それに、黙っててくれたとしても、いつか綾が本当のことを知ったとき、自分だけ知らされていなかったと知れば、おちこむだろう。
「本当に、大学の同級生だ。女じゃない。もう長くないから、少しでも見舞いに行ってやりたいんだ」
嘘をつくときは、真実をほんの少し混ぜるといい。
「そうなんですか……それ、綾にも言ってあげたほうがいいと思います」
「妊娠で体調が悪そうなところに、景気の悪い話をするのもな……」
「まあ、そうですね」
由香ちゃんは納得してくれた。
よかった。
これで由香ちゃんの口から綾に話が行けば、綾も不安がる事はなくなるだろう。
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