きみを見つけた

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*  サークルで集まる前の二人の時間が、いつしかさつきの楽しみになっていた。  徹夜で課題を仕上げた翌日、教室で机に顔を付けてうとうとしていたさつきは、人の気配を感じて目を覚ました。目を擦ろうと伸ばした手が、顔の近くで別の手にぶつかる。 「ナル……?」  頬に触れていた手の主が、クスリと吐息で笑った気配がした。 「先輩、無防備すぎですよ。襲われたらどうするんですか」  笑顔の成井田が、さつきの頬を撫でていた。触れた所から、さつきの皮膚が急速に熱を持つ。 「誰も来ないし、お金とか、全然持ってないし、大丈夫だよ」  いつから見られていたのだろう。  寝顔を見られていたと思うと、火を吹きそうな程恥ずかしくなって、さつきは目を彷徨わせて弁解した。  しかし成井田は、そうじゃなくて、とさつきの耳の横の髪をするりと整えてから、目を細める。 「とても可愛いので、狙われるんじゃないかと心配なんです。……俺が守りますけど」  成井田はそう言うと、はっとした様に口元を手で押さえて照れている様子だった。  可愛い? 俺が?  さつきは、成井田が何を言っているのか、すぐに理解出来ずきょとんとしていた。  頭の中で、可愛いの意味を検索する。  愛らしくて、いとおしい?  痛々しくて、かわいそう?  しかし、どちらでもいいと思った。  成井田は、守ってくれると言ってくれた。いとおしくても、可哀想でも、心から嫌いな人間を、守ろうとは思わないはずだ。成井田は、俺を、たぶん、嫌わないでいてくれてる。  さつきの心臓が、早鐘を打ち出す。 「あ、ありがとう……。うれしい、すごく」  こういう答え方で、合っているのだろうか。さつきは勇気を出して、成井田の顔を見上げた。  成井田は困ったような顔で、笑っていた。それから、「その顔とか、反則です」と言って、さつきの赤面症が感染ったかのように赤くなった顔の口元を押さえた。  成井田と二人で話すのは緊張もするが、とても貴重で豊かな時間だった。  ただ、一つだけ、心に引っ掛かっていることがあった。  さつきは、自分が同性を好きになる性質であることを、中学を卒業する頃から自覚していた。一番近い異性である母親から、いつも辛辣な言葉を投げかけられていたせいかは解らないが、さつきは女性に対して畏怖の念を抱いていた。男性の担任教師や、習い事の先生など、もしかしたら憧れの域を出ていないのかもしれないが、優しい口調で話してくれた同性の男のことを、さつきはすぐに好きになった。だからといって、今まで相手に対して一度たりとも行動を起こしたことはないのだが、胸の中に灯る小さな煌めきが“恋”と呼ばれる類いだと、さつきは感じていた。そして同時に、普通に接してくれる人に対して、すぐにそういった好意を寄せてしまう自分の気持ちは、一生外に出してはいけないものだとも思っていた。成井田と話す時、友達として、先輩としておかしくないようにと意識していたが、男をそういう対象として見てしまう自分の性質を隠して話す時、いつも後ろめたい気持ちになっていた。  成井田をそういう対象として好きになることは、絶対に避けなければならない。そうでなければ、今まで友達として接してくれていた成井田を裏切ることになる。さつきの気持ちを優しく受け止めてくれる成井田に惹かれていく反面、さつきは自分の心臓を縛り付けるように、気持ちを押し殺して律しようとしていた。しかし、抑え込めば抑え込むほど、想いは過熱していく。  どうすれば、と迷い、さつきが救いの手を求めたのは、ネットの匿名掲示板だった。  友人のいないさつきにとって、高校生の時に見つけた、同性愛者専用の匿名ネット掲示板は唯一の相談相手だった。幼なじみの中之島のことは頼りにしていたが、性のことなど、話すのが躊躇われる秘密については、相談することが出来なかった。匿名であれば、顔が見えないからこそ、普段は心の底に仕舞い込んでいる気持ちも、吐き出すことが出来た。掲示板にいる人たちは殆どが年上らしく、悩み事などにすぐに親切に答えてくれた。 『大学で、たぶん、好きな人が出来ました。でも、友達として仲良くしてくれる相手に、こんな気持ちで接するのが申し訳なくて。ずっと友達でいたいのですが、どうしたら、この気持ちを無くせるでしょうか』  “kou”と言うハンドルネームでさつきが書き込むと、すぐに返信が付いた。 『kouちゃんおめ! その気持ち大事にv 無くすなんて悲しいこと言わないで』 『言わなければ一生隠せるよ』 『告っちゃえ! 玉砕したら二丁目おいで』  様々な返信の中、一つのアドバイスがさつきの目にとまった。 『応援するよ。kouちゃんの良いところを知ったら、相手も好きになってくれるかもしれないね。人を好きになるのに、制約なんてないから、kouちゃんはその相手を好きなままで大丈夫。好意を持たれて、嫌な気がする奴なんていない。気持ち悪いとか嫌がるようだったら、そいつとは合わなかっただけのこと。堂々と好きなままで、いいんだよ』  好きなままで、いい。  そう助言されて、さつきの気持ちは少し軽くなった。成井田から貰ったピンク色のマフラータオルを、両手でぎゅっと握って、その上に頬を付ける。  この気持ちを殺さなくてもいい。心に秘めていてもいい。成井田に伝える勇気はないが、心の中で想うのは自由。  書き込みをしてくれた“ユタ”というハンドルネームの人物に、さつきはお礼のメッセージを送った。すると、すぐに携帯からメッセージアプリの着信音が鳴った。メッセージは、ユタからのものだった。 『応援してるよ』  優しい言葉に、さつきはほっとする。  掲示板で知り合ったユタとは、個別にメッセージアプリでのやり取りもしている。高校でクラスメイトとのトラブルを起こし、悩んで掲示板に相談をした際、ユタからの提案でメッセージアプリのIDを交換して交流が始まり、それ以来さつきはユタに、随分励まされている。  ユタはさつきと同じ同性愛者で、建築士をしているらしく、恋愛や進路についてなど様々なアドバイスをくれる。一度も実際に会ったことは無いが、さつきにとって、インターネット上の頼れる兄のような存在になりつつあった。
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