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花びらべいびー
珍しく早寝をしたからだろうか。
土曜日の今日は平日よりも1時間は長く寝れるはずなのに、何なら普段よりもうんと早く目が覚めた。
来週からテスト期間になるし人の少ないバスでのんびり行こうかと家を出て、到着した正門前はもちろん生徒の影ひとつない。
1番乗りだろう正門を抜けた瞬間、目の前を歩く後ろ姿に胸がぎゅっとなった。
私より広い背中、高い背丈、少し気だるげに進む足取り。
平日だって登校時間ギリギリにやって来る私の想い人がゆっくり、ゆっくりと校舎へと向かっていた。
わ、わ、うれしすぎる
まさに嬉しい誤算、神様の贈り物、願ったり叶ったり。
気付いていないだろう彼の後ろを私もゆっくり歩いていく。
正門から続く直線路、その後ろ姿は新鮮でくすぐったくて、やっぱりすきだ。
どこで追いつくかな、靴箱か廊下か、はたまた教室か。
つい昨日の夜まで連絡を取り合っていたというのに、本物を見れば液晶を隔てた言葉だけでは、やはり物足りないと実感してしまう。
追いついて声を聴きたい気持ちと、鼓動を大きくしながら眺めていたい気持ちが揺れている。
…と、そんな私を知ってか知らずか、突然、前方の彼がしゃがみ込んだ。
驚いてザリッと地面を踏みしめる、まだ気付かれてはいない。
どうやら靴紐が解けて結び直しているらしい。
途中で立ち止まるのもおかしな話なので、慌ててスマホを操作しながら歩みを進める。
少しずつすこしずつ、お互いの距離が縮まっていく。
どうしよう、どうしよう。
心拍数が速くなって、倒れそうだ。
「お、おはよー」
なんと声を掛けようか悩んでみたものの、実際にその瞬間が訪れれば何も考えられなくて無難なあいさつしか出来ない。
さも通りがかりと言わんばかりにスマホをタップする、目的もなく電話帳をスクロール。
きっと今だけはこの校舎に2人きり、そう考えてしまえば心拍数は上昇の一途だ。
「…はよー」
少し間があってやっぱり気だるげな声。
振り返る勇気なんて正門あたりに置いてきたから、前を向いて歩くだけ。
「めずらしく早いね」
「そっちだって」
「あ、あたしは目が覚めただけよ」
「そうかもな、誰かさんが途中でLINE切っちゃうからなー」
心臓を掴まれた気分とはきっとこういうことだろう。
ぎゅーっと、きゅっとなった胸元が苦しくて痛いほど。
連絡は取るくせに学校でその話をしない私たちのおかしな関係。
それをひっくり返す彼の台詞も、きっと誰もいないから。
予想外の返答に思わずばっと振り返れば、彼は口角を上げニヤニヤとこちらを見ていた。
「寝ちゃったんだもん、しゃーないじゃんっ」
「待ってたんだけどなー、返事。寂しかったなぁ」
「まーた思ってもないことを」
「いやいや、ほんとに」
きっと、多分、いいや、絶対に。
私が彼を好きだということは、彼にはとっくにばれていると思う。
だけど口にはしない。
告白をしない私も、話題に触れない彼も。
伝わっているはずの想いに触れてこないのは、彼と私がイコールではないからに他ならない。
だからこれは、今までもこれからも片想いという名の失恋のままだ。
「わかったわかった、ごめんね。また連絡してあげるから」
「わ、上から目線」
「寂しがりには困ったものです」
「おれと連絡取れなくて寂しいのはお前だろ」
図星。
笑ってごまかすしかない。
適当に話を流して見上げた時計は、始業までまだまだ余裕のある時刻。
ふわりと制服を揺らす風は昨日よりあたたかい、もうすぐ春がくる。
あぁ、そうか、春が来るのだ。
そしてクラスも変わってしまう。
次の1年はとても忙しくてとても目まぐるしくて、とても恋なんてしていられない。
それでも辛さや悲しさを感じた時には、彼になにかを伝えたくなるかもしれない。
校庭に見える蕾を蓄えた開花を迎えたばかりの桜は、次の年も見れるだろうか。
「てゆーかさ、今日はあったかいね。そろそろお花見の時期だね」
彼の言葉に返事をすることも自身の中の寂しさを声に出せるわけもなく、どうでもいい話題を提示する。
まぁでも、お花見はいいじゃないか、本当に。
行こうかと思う内に散ってしまうこともあるから、これも一種の生ものだ。
淡い桃色が散る中で何を食べようか。
少しずつ高くなる陽の光にじんわり背中があたたかい。
あぁ、そうだ、団子もいい。
花より団子を実現させよう、ついでに春の生菓子でも持ち込んで。
「あぁ、食べたい」
その声に早くも本日2度目の振り返り。
思ったよりも近くにいた彼の声と、心の中を読まれたことに驚いた。
「えっ」
「どうせ、花見でなんか食べたいとか考えてたろ。ほんと、食いしん坊ですねぇ」
「し、失礼なっ」
私の横を通り過ぎる彼。
指で私の頬をぷすりと押し、笑いながら過ぎていく。
もう何から突っ込んだらいいのか分からなくて、足早に彼を追うことしか出来なかった。
春のせい、春のせいだ。陽気になってるだけなんだ
「ほっぺ真っ赤、なんかあったか」
「別に、擦っただけだよ」
「はは、そりゃ大変だ」
普段よりも気温よりもぐっと上昇する頬の熱。
からかわれて少し傷付くくせに、触れてくれるならこのまま世界が止まればいいのに。
クラスメートが来ればこんなやり取りだって終わってしまう。
苦しくていやになるけれど、だったらいっそ最後の思い出として楽しんでしまおう。
残りあと数日、桜が咲く、ほんのひと時の間だけ。
「大変だよほんと…だってずっと、熱っぽいんだから」
「…へぇ」
はじまりとさようならの春。
この春が一生忘れられない、あたたかすぎる季節となったその理由は。
「その熱っぽさってさ、おれならどうにかできんじゃないの」
「え、えっ」
また、次の機会にでも。
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