忘年会はアットホームに。

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忘年会はアットホームに。

幹事をやれ。 部長から高圧的に言われたのはつい2週間前の事。その後、隣の営業部の同期・花蓮(かれん)からも拝まれて断れなかった営業部アシスタントの私。 アットホームが売りのうちの会社の営業部の忘年会の幹事をやるということは、”重責”以外の何ものでもない。何しろ第一から十まである営業部を統括する部長はまたの名を”宴会部長”。社長の次男坊で無駄にイケメンであり、芸能人になった方がいいんではないかと噂されている。(やや厄介者扱い?)仕事は出来るが、何しろ人たらしな方で仕事を通してしまう強者だから要らぬ敵がいるやらいないやら。 "忘年会スルー”が珍しくないご時世にあって、若干29歳にして大のお酒好き、宴会好きの今時珍しい部長は同じくお酒好きでムードメーカーな花蓮に白羽の矢を立て幹事を頼んでいたのだが、彼女、やってしまった。先週末に夜行列車に飛び乗って朝一で地元の仲間とスノボを堪能していた最中、他の新米ボーダーに突っ込まれて、右手右足に全治2週間の怪我を負った。 という訳で、年末の残務に追われ、毎日午後9時過ぎまで残業しながらの店探しに奔走した私は今、次男坊を目の前に正式にお店を決める前のお店候補リスト作成したものを読んでもらっている。 リストに目を通す伏しがちの目を覆い隠すような長い睫毛、男性にしては少し長めの髪を右サイドの耳にかけ、無機質なオフィスに無駄に色気を漂わせている上司の名は栗原奏也(くりはらそうや)。 彼の傷一つ見当たらない項を見下ろしながら女性にも人生にもきっと苦労してないんだろうな、って思っていたら、急に振り向かれてドキッとした。 「どれも却下」 部長は不機嫌そうにため息をついて、リストを私に突っ返す。 い、今何て? 今までの苦労は一体何だったんだ… 綺麗にセットされた頭、叩いてもよろしくて? 私なんか髪を結び直す暇だって、化粧直す暇だだって無いのに。 そんな衝動にかられたダークな私の心を知ってか知らずか、部長は一言ずつ区切るように言う。 「お前のセレクトには色気が無い」 「?」 彼は手帳を取り出すとメモ書きの部分にさらさらと何かを書いて、私に指先で摘まんでひょいと渡した。 見ると、へたくそな地図が書かれている。 「会場の最寄り駅からの地図だ。人数分コピーして皆に配れ。頼んだぞ」 「……」 すっと立ちあがって、スーツの上着を羽織りだした上司に私は地図の場所が高級住宅地近くだとわかり声をかけた。 「あの!」 「何だ?」 「このお店、名前は何て言うんですか?」 振り返った美貌が不機嫌そうに眉をしかめて首を傾げていた私を睨むから、びびりながらも恐る恐る聞いた。 「名前なんて在るわけない。自宅だからな」 「……はい?」 部長は高級そうな腕時計をはめて、鞄を持った。 「ち、ちょっと待ってください。忘年会を部長の自宅でやるってことですか?」 「そうだ。バンケットルームが地下にある。シャンデリア付きだ。文句あるか?」 「……」 この人、頭おかしいのかな… 「ワインの貯蔵室もあるから好きなだけ酔わせてやる。いいか、当日はそんな地味なスーツじゃ許さん。出先から帰ったら着るもの選んでやるから待ってろ、北野」 「……北村です」 上司は何やらいわくありげに微笑んで、私の後頭部に手をかけて、ぐいっと顔面に引き寄せた。し、至近距離。心臓に悪すぎる程に妖艶で美しいお顔。でも、強引、嫌い。 「わかっている。心が美しい女と書いて、こ・こ・み、だ」 彼は私の鼻先で怪しげにほそく笑むと出て行った。 い、今、な、名前…! 神様、ああ、神様! 社会人になってこの会社に入って 社畜として5年目のまだまだな私ですが、 今年の忘年会は”スルー””してもバチ当たりませんか…?? なんだかとても 生きて帰れる自信がああ、無いのです… 私は両手を組んで、神に祈った。 忘年会はアットホームに。 なんて冗談じゃない。 胸がまだどきどき煩い。 これがあの部長のせいかと思うと腹が立つ。 もうこんな日は後輩誘って派手に飲み明かしてやる。 あ、部長に誘われてたわ…。 廊下に出て、ガラス張りの窓の外を見たら、部長の赤いフェラーリが見えた。艶々と車体を輝かせてクリスマス間近の賑やかな通りに出て行く。 あと何時間かすれば、あの車で部長にショッピングに連れ出されるのか。 いけない、仕事仕事。 私は廊下を慌ただしく走り出した。 早く終わらせて、髪を結び直して、メイクを直さなきゃ。 部長に釣り合う自分に見えるようにせめて、少しでも。 そんな私は既に部長の思惑通りに進んでいたなんて、その時はまだ気がついていなかった。 2週間後の忘年会は盛況に終わったけど… 高級ワインに目が眩んだ私は宴が終わった後、羽目を外し過ぎた。 いつのまにか部長を名前で呼んでいて 髪をほどかれて、口紅を落とされて、 部長があの夜に選んでくれた裾が短すぎるワンピースに手をかけられてる今が信じられなくて。 やっぱり強引で嫌い。 だけど、何でだろう、拒否出来ない。 私を見つめる部長のまなざしも 触れる手も優しい。 だから拒否出来ないんだ。 嫌いか? 部長が耳元で囁く。 されるがままじゃ、私らしくない。 強引で嫌い。 だけど… 私は部長の手に手を重ねて、上に動かした。 止めないで。
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