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そのまま南下して、寺町三条の骨董品店『蔵』の扉を開けと、カラン、というドアベルが響く。
「葵さん」
カウンターで帳簿を付けていたホームズさんが、顔を上げた。
相変わらず、黒いベストに真っ白いシャツ、アームバンドをつけている。
私を見て、にこりと柔らかく微笑む。
「おはようございます、ホームズさん」
もう夕方だが、私はいつものように、まるで業界人のように挨拶をする。
『おはようございます』というのは、早くから先に働いている人への労いの意味もあるそうだ。
「葵さんが、手に持っているのは、もしかして短冊ですか?」
少し首を傾けて尋ねるホームズさんに、はい、と頷く。
「お茶屋さんにもらったんです。店先に笹を飾っているそうで、私とホームズさんの分と……」
私は短冊をカウンターの上に置いた。
「これはこれは、短冊に願い事を書くなんて、小学校の学校行事以来かもしれません」
ホームズさんは短冊を手に取って、愉しげに目を細める。
「でも、思えば、七夕って一年に一度、恋人同士が会う日ですよね? どうして、願い事を書くんでしょうか?」
短冊を手に私が首を捻ると、ホームズは人差し指を立てる。
「一年ぶりに会って、恋に浮かれ惚けている二人ですから、どさくさに紛れてお願い事を言っておけば、調子に乗って叶えてくれると信じられているのではないでしょうか?」
「えっ、そんな理由で?」
「冗談ですよ、葵さん」
ホームズさんは、相変わらずだ。
私は、もう、と口を尖らせて、カウンターの中に入り、エプロンをつけていると、彼は帳簿を閉じて、ゆっくりと立ち上がる。
私たちはカウンターの中に並んでる状態となった。
「実際は、もともと織姫は、縫製や機織りの名人で、織姫のように自分も上達したい、と願ったところからの始まりだろそうです」
「向上心に溢れた素敵なお願い事ですね」
私は、へぇ、と洩らして、短冊に目を落とした。
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