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「思えば、七夕の伝説も何度か聞いているのに、うろ覚えです」
今となっては、離れ離れになった恋人が、七月七日に再会するという認識しかない。
「葵さんは、どんな風に聞いていましたか?」
私は、ええと、と記憶をたどる。
「……織姫も彦星も、とても働き者だったんですが、二人が結婚した途端、遊び惚けて仕事をしなくなってしまって、そうしたら様々なことが滞ってしまい、注意しても直らなかったから、神様が怒って二人を離れ離れにしてしまったとか」
私がそう言うと、ホームズさんは愉しげに口角を上げる。
「あ、違いましたか?」
「いえ、大体、合っているのですが、それは大人が子どもに伝えたお話ですよね?」
「ええ、絵本とかで読みました」
「実際は、もっと生々しい話なんですよ」
「生々しい?」
と、ホームズさんは、カウンターに置いていた私の手の上に、掌を重ねた。
「一緒になった二人は、寝ても冷めても、愛し合い続けたそうなんです」
「えっ?」
「新婚夫婦ですからね。自分のやるべき仕事も何もかも放り出して、四六時中……。見かねた神々が注意しても、愛し合うことをやめられなかったんです」
耳もとで囁かれて、ぞくぞくして私の膝が微かに震える。
「……そ、そうなんですね」
動揺を隠しながら、私は相槌をうつ。
たしかに、夫婦になった二人が、『遊んでばかりいる』という表現は、まさに大人が子ども向けに伝えたものだろう。
少しも疑わずにいた花畑で遊んでいる夫婦の姿を想像していた自分は、幼かったのかもしれない。
「僕もあなたと結婚してしまったら、彦星のようになってしまうかもしれません。その時は、窘めてくれますか?」
指を絡ませるようにつなぎながら、顔を覗くホームズさんに、胸がギュッと詰まる気がした。
強い鼓動に何も言えずにいると、ホームズさんは手を離して、にっこりと笑う。
「なんて、冗談ですよ。『二人が一緒になったことで、駄目になった』なんて、周囲の人たちに思われるのは、絶対に嫌ですからね」
それは、たしかにそうだ。
「私も……『家頭清貴は、真城葵と一緒になったことで、駄目になった』とは思われたくないです」
「……まあ、ある意味、とことん駄目になってるんやけど」
えっ? と、瞬くと、ホームズさんは、いえ、と首を振る。
「とりあえず、ちゃんと自分のやるべきことをこなしたうえで、あなたをたっぷりいただきたいと思っています。それは許してもらえますか?」
私の手を取って、にこやかに問う。
「そ、そんなこと聞かないでください」
ばくばくとうるさい心臓を誤魔化すように、目をそらす。
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