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夜の九時、師走の喧騒も全く関係なく、俺のいきつけ『Bar Tio diego』はいつもの通りの静けさだった。ここはいつ来ても何も変わらない。満席はおろか、十席のカウンターに五人以上座ってるのを見たことがない。マスターが制限してるのかと疑ってしまう。まあ、その静けさが気に入ってるから通ってるんだが。
音量を絞って流されているフラメンコギターの、哀愁漂う音色をつまみに今宵も一人、キープしてあるグレファークラス二一年をストレートでまったりと飲む。
煉瓦調に整えられた薄暗い店内に、一枚板の白木のカウンター。マスターを除けば俺と、一番奥に座る、先客の三十代前半と見える女しかいない。
若干ブラウンがかった長い髪を緩くウェーブさせて、肩甲骨の辺りまで垂らしている。カウンターの両端に座ってるので横顔しか見えないが、ネイビーの薄手のニットの上の顔は、どこかしら蠱惑的な雰囲気を醸し出している。ただ女が、薄赤色に満たされたカクテルグラスを口に運ぶ動作だけで、横目で追ってしまう。自分でも分からない、奥の奥にある小さくて鈍く光る塊が疼きだすようだ。
ふと女が、ゆっくりとこちらを向いた。
「ねえ、なにさっきから見てるの? わたしが気になる?」
少しからかうような物言いの問いに、俺は咳払いをして女を見る。若干タレがちな切れ長の目と、薄く形の良い唇が、遠目にも分かる。女は微笑んでいた。
「ああ、ごめんね。綺麗に飲んでるから気になってね。悪気はないんだ」
女は俺の苦しい言い訳にクスッと目を細めて笑い、カクテルグラスに口をつける。目は俺を見たままだ。女から見れば、俺は焦った間抜けな顔に見えただろう。
「そっちに行ってもいい? 気になるんなら、一緒に飲みましょうよ」
ふいの言葉に、正面に戻しかけた顔を、もう一度女に向けた。
「俺と?」
女は不思議そうな顔をした。
「マスター以外は、ここにはわたしとあなただけよ」
俺も不思議だ。何で一緒に飲みたいんだ? 横目で盗み見てたのを咎められる訳でもなく。退屈しのぎにからかいたいのか? それとも、俺のことが気になるのか?
女の真意は分からないが、自分の素直な欲求に逆らえずに了承する。
「俺で良ければ、喜んで」
「じゃあ、行くね」
女は柔らかな声で即答して立ち上がり、カクテルグラス片手に、優美にこちらに向かってくる。
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