いっぱい染められたのね

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 俺は女の言葉に飲まれていた。低く、囁くような口調と酒の匂いが微かに混じる息に、俺は酔いしれる。 「でも、実はSはあなたの方。ねえ、SとMの違いって分かる? SはMの求めていることをしてあげる。Mは貪欲に求めるだけ。よく、おらついてる人が俺はSとか言うけど、あんなのSでも何でもないわ。へたをするとただの暴力ね。逆に自称Mも何も分かってない。本当のMは自分が凄くわがままで、欲求に果てがないことを自覚してるもの。皆うわべだけなのよ。あなたは、自分を染めたいと思った女に好きなようにさせて、それを冷静に眺めてた。受け身のようでいて、やってることはSよりね」  女の顔が更に近づく。 「だけど、SとMって簡単に割りきれないものなのよ。曖昧な境界線を漂ってるだけ。人は誰しも両方持ってるのよ。あなたもね」  ひとしきり語り、女は顔を離した。グラスの酒を最後まで一息で飲み干し、俺を改めて見る。 「ごちそうさま。楽しかったわ」  そう言うと、マスターに会計を頼み、クロークからコートとカバンを受けとる。  帰り際に、一枚の名刺を俺に手渡した。 「わたしなら、あなたをもっと綺麗に染めてあげられるわ」  そう言って、女は店を後にした。    熟成を経て凝縮されたウィスキーの中にいるような甘美な時間。短い時間だったが、そこから抜け出せないまま、俺は渡された名刺を見る。 『会員制CLUB ARMONIA  美咲 080―5×××―8×××』  シンプルな白い名刺には店名と女の名前、携帯の電話番号が書いてあるだけだ。ホステスか何か? そんな疑問もこれだけではどうしようもない。  鈍く光る塊が、よりいっそう大きく輝くのを感じながら、俺も店を後にした。
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