第一章 勇者と魔王

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第10話 洞窟の中  洞窟といってもそこは真っ暗ではなく、天井の何か所かに穴が開いて、外から光が差し込んでいた。雨はいくらか洞窟の中に落ちて来るだろうが、それでも外よりは断然過ごしやすいはずだ。なによりも気温が違う。入り口から少し奥に入ると、この格好では肌寒く感じるほどに涼しい。  俺は久々の涼しさを堪能しながら、中をゆっくりと見まわした。洞窟の中は広く、形もまるで誰かが掘ったかのように整っている。とはいえ、人の気配は全くない。ただあちらこちらに残る人工的なものが、かつてそこに人が住んでいたことを感じさせた。それは百年以上も前の、ほんの残り香のような人の気配だった。  入り口は横幅は俺が三人並んで通れるほどあったが、高さはちょうど身長すれすれくらいだ。しかし入り口を通り過ぎると、そこは家が一軒丸ごと入りそうなくらいの、大きな広間になっている。  足元には浅い川が流れ、それは広間の中央を横切り、さらに奥に続いていた。  入り口から見て川の右側には、かつての住人が使っていたであろう、木のテーブルや椅子やベッドのような家具が、いくつか置いてあった。こちら側はリビングとして使われていたのだろう。  大きな丸太と小さな丸太を、そのままの形で使っていたらしいテーブルセット。端のほうから朽ちかけていたが、今でも充分に使えそうだ。細い木を並べて作っていたらしいベッドは、今はボロボロに朽ちていて、ほとんど原形をとどめていない。その上に乗せていたであろう布団のほうが、穴だらけではあるがまだ何かに使えるはずだ。他にも何に使われていたのか、大小いろいろな大きさの丸太が数個。そのうちのひとつは、上に薄緑色のガラスの塊がいくつか置かれていて、今も天井からさし込む光を反射して淡く光っている。  川の左手には台所らしきものが残っている。作業用らしき木の丸太テーブルはやはり朽ちかけていたが、石で作られたかまどと、外に煙を出す為のレンガで組まれた煙突は今でもそのまま使えそうだ。  鍋や茶わんなどもたくさん残されていて、割れたり欠けたり、穴の開いたものも多いけれど、そのうちのいくつかは今でも使えそうだった。  普通に一家で移住してきても住めそうな広さがあるが、ベッドがひとつだけなところを見ると、前の住人は一人でここに住んでいたんだろうか?  それとも奥にまだ部屋があるのか……  ポチは鼻をクンクンさせながら、部屋の隅々を勝手に見てあるいている。危険な気配もないので好きにさせて、俺はひとりで、奥へと進むことにした。  川をそのまま辿って奥へ行くと、その次の部屋は元々自然にできた洞窟のようだった。手前の広間とは全く様相が違うし、家具も置かれていない。  デコボコの岩壁は白く滑らかで、床からは石筍が伸び、天井からも鍾乳石がいくつも垂れ下がっている。それらの成長した後なのか、部屋の中には自然にできた柱がいくつもあって、そのどれもが、一抱えもありそうなくらい太い。どこからかは分からないが部屋は全体的にぼんやりと明るく、まるで壁や柱自体が淡く乳白色に光っているようだ。  足元の川の行きつく先は、その部屋の面積の半分を占める大きな湖になっていた。  湖の水は透明で、底からポコポコと水が湧き出しているのがわかる。手が届きそうなくらい近くに見える湖の底だが、きっと俺の身長よりももっと深いのだろう。その湖の中をも、いくつもの石筍や波打った白い岩が飾っていた。  壁や天井から滴り落ちるしずくもすべて、その湖へと流れ込んでいる。  幻想的な光景だ。  広間からさし込む光が、キラキラと湖に反射して、何とも言えない雰囲気を醸し出していた。 「くあ?」  いつの間にか、ポチが隣りに並んで湖の底を覗きこんでいる。 「ああ……綺麗だな」 「くえっ」  ポチはそっと前足を湖に浸して、慌ててひっこめた。 「ぐえ」 「ん?どうしたんだ?ああ、冷たかったのか」  外の暑さが信じられないほど、ここは涼しくて、水は冷たかった。 「さすがにここで水浴びは寒いだろうなあ。水浴びは外でするか」 「くえっ、くええ」 「しかし、都合よく住むのにちょうどいい洞窟があったもんだな」 「きゅっ。きゅきゅっ」  何やら自慢げに鼻をツンと上げて、ポチが広間の方に歩き出した。 「ついて来いって?何か見つけたのか?」 「きゅっ」  しっぽを振りながらつんと澄まして前を歩くポチ。歩いて行った先は、広間の朽ちたベッドのそばだった。  そこには一か所だけ、あの転移陣と同じような磨かれた石が壁に貼り付けられている。そのそばまで来ると、ポチはちょんっとその石の端に触れた。  今回は転移陣ではなく、何か文字のような記号のようなものが現れた。それは自分の知っているこの大陸共通言語の文字とは全く違う、見たことのないものだった。 「何だこれ、何が書いてあるんだ……」  少し低い位置にあるそれを、もっとよく見てみようとその場に膝をつく。転移陣などの魔法陣に描かれている記号によく似ている。おそらく文字だろうとは思う。魔法陣と似ているということは、古代言語だろうか。じっくり見ても、何を書いているのかは、見当すらつかない。  諦めて立ち上がろうとした俺だったが、立ち上がることは出来なかった。背中から柔らかい何かに絡みつかれて、身動きが取れない。 「そのまま。振り向かずに石板を見ているといい」 「なっ!誰だ、お前……その声は!」  振り返ろうとするが、身体の自由が利かない。ただ何かで腕を押さえつけられているといった感じではなく、何か見えない力に身体全体をぎゅうっと包まれたような。しかもそれだけじゃない。体内魔力を動かして腕に力を入れようとしても、それすらうまくいかない。  どうにか目だけをまわしてあちらこちらを見ると、真っ白い細い腕が、背中から自分に抱きついている。 「魔王か!」 「ふふ。ポチと呼んでくれてもいいのだぞ、森の民リクハルド。リクと呼べばいいのだったか」 「俺をどうする気だっ?」 「どうもせぬよ。私はもう魔王ではない。そなたももう、勇者ではなかろう?」 「では何故、俺を拘束する?」 「……よいからそのまま、黙って前を見るがいい。その石板に何が書かれているのか、読んで聞かせよう」  そう言いながら、その白い腕は指をすっと伸ばして、石板を示す。俺はただ、言われたとおりに石板を見つめるしかなかった。
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