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ホーム
「好きって言ったら怒る?」
夏。オレンジ色の西日が目に刺さる午後五時四十六分。
駅の向こう側のホームに電車が滑り込んで来るのと同時に、彼女は言った。
一瞬耳を疑った。ついでに、手に持っていたボストンバッグを落としそうになった。あまりにも話が出来すぎているから。
そのふわりと風に流された髪とか、こちらを少し見上げるような視線とか、不安げなその声色とか、そんなことにばかり気がいってしまう時点で、もうこちらの答えは決まっているのだけど。
照れ隠しに、
「事の次第に寄っては」
と言うと、彼女は、
「どうして?」
と訊く。
わかってるくせに。本当に狡い。
だってこんな別れ際に、しかもいつもの帰り道じゃない、俺が引越しで家を離れる日に、ずっと想ってきた人にそんなことを言われたら。
もう、どうしていいかわからない。そんなことを言えるはずもないのに。
本当に、出来すぎている。こんな作り話のような展開が、俺なんかの人生にあっていいものか。
ふと、彼女のいる景色が、夕日色の駅が、ぐにゃりぐにゃりと歪む。え、と思うまもなく、頬に温かい雫が一筋流れた。
「え、もう、何で俺、泣いて…」
バッグを持っていない方の手で急いで拭うが、原因不明のそいつは、意に反して次々と溢れてくる。
「ちょっと、何で私より先に泣くのよ」
彼女が笑った。その声も少し潤んでいて、ますます涙が止まらなくなった。本当に格好がつかない。
頭の中がぐちゃぐちゃの俺に、彼女がぎゅっと抱きついてきた。一瞬思考が止まる。今度こそボストンバッグを落としてしまった。
落としたついでに、自由になったその両手で、彼女の背にそっと手を回した。腕の中の好きな人は、想像よりはるかに細くて華奢で、暖かかった。
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