◆〇.

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 登山をするには面白みにも欠けるし、そもそも登山道もろくに存在しないのだから、黄泉平坂なんてあるわけないんだ。それなのに、なぜか黄泉平坂の存在が実しやかに語り継がれている、それが千引山だった。そんな黄泉平坂では生と死の存在が曖昧になり、場合によっては千引かれたまま戻ってこれないこともあるという。  ちょうど5年くらい前だ、俺は彼女を連れて自分の実家へ顔を出した。奥さん? いや、違う。彼女はあの後すぐ……いや、何でもない。彼女は、当時結婚を真剣に考えていた相手でもあった。  彼女はミサキという名前だった。うちの父親も母親も彼女のことは大層気に入ったようで、一晩中四人で語り合ったものだ。土日を使った一泊二日、昼には帰る予定だったが結局現地を出る頃には夕方になっていた。  別れを惜しみ、親子のように抱擁しあう母とミサキ。ミサキは少し気が強いタイプだったので、来る前は母とうまく行くか不安だった。 しかしいざ蓋を開けてみれば、そんな気概が母には快く映ったらしい。 「母さん、ミサキ。そろそろ出ないと、家に着くのが明日になっちゃうよ」  本当は明日は大事を取って休みを取ってあるので、到着が遅くなっても問題はない。ただ、ろくに街灯もない千引山を真っ暗な中走り抜けるのが少し怖かった。  はいはい、と母がようやくミサキを引き離す。ミサキも楽しそうで俺は少し安心していた。 「……逢魔時ね」  その時、母が夕方空を見ながらぽつりと、そう呟いたのを俺は聞き逃さなかった。 「なに時だって?」     
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