番外編2  切れない絆を、君に

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 二人で役所を出て、二人で家に帰った。  たった半日出かけていただけなのに、長旅から戻ったような気がした。  やっと二人、家族になれたのだという思いが、ふつふつとこみあげてくる。  玄関へたどりついた時点で、かたく抱き合っていた。  蓬莱は、榊の右手の怪我を気にしつつ、コート越しに細い腰を支えるように抱きよせ、唇を重ねあわせた。  ついばむだけのキスは、すぐに激しいものへと変わる。 「んっ、ぅ……」  冷えて白くなった頬に血の気が戻って、ほんのり桃色に染まる。  角度を変えて口を吸い合っていると、どんどん体温が上昇していくのがわかる。  いつまででも、口づけていられると思った。 「あの、ご飯が先じゃないですか?」 「……はい」  榊の左手で軽く押し戻されて、蓬莱はがっくりとうなだれた。もちろん、気づいているだろう。臨戦態勢だったことは。  買ってきたローストビーフを平らげ、秘蔵のワインに口をつける。もっと杯を重ねたいところであるが、この後の展開を考えると、あまり飲み過ぎるわけにはいかない。  まだ右手が使えない榊を風呂で洗うのは、蓬莱の日課だった。  湯を張って、温まった頃に二人で入る。距離の近さが嬉しくて、蓬莱はついはしゃいでしまう。  風呂の床は滑りやすい。細心の注意でもって、洗い流していく。  榊はくすぐったいと嫌がったが、頭のてっぺんから足の先まで、自分の手できれいにしていくのは存外、楽しい作業だった。  灯りを落としたベッドで無心になって抱き合うよりも、明るいバスルームで素面(しらふ)のまま、蓬莱の手で磨きたてられるほうが恥ずかしいらしい。榊はいつも憮然としていた。 「そんなに、膨れないでよ」  小指の先を伸ばして、剥き出しになった足の付け根をそっと引っ掻くと、榊は小さく身震いした。 「膨れてなんかいません。……ぁ」 「エロい声」 「周が、変な触り方、する、からっ」  口を尖らせて身をよじる男がかわいい。ひと回り以上離れていても、かわいいものはかわいい。もっと触れたい。そこかしこにある弱いところをつついて、甘い声をあげさせたい。ぴったりと肌を合わせたい。  が、冬のバスルームに立てこもって、怪我人に風邪をひかせるのは本意ではない。これ以上、刺激するとあとが恐ろしい。 「はいはい。ごめんって。もうしません」  蓬莱は両手をあげ、おどけたように笑ってみせる。榊は深いため息で、左右に首を振った。 「なんだか、変な感じですね。周が、私の子どもになるなんて」 「なあに、パパ。お小遣いくれるの?」 「なに言ってるんですか、もう。お小遣いをばらまくほうの、いけないパパみたいじゃないですか」  ベッドの上で二人、顔を見合わせて笑った。  どちらも湯あがりでバスローブ一枚しか羽織っていないが、暖房を十分にきかせた部屋なので寒さは感じない。部屋の灯りはすでに落とされている。これだけはどうしてもと言って、榊が譲らない。 「愛してます、周」 「うん、俺も愛してる。これからもよろしく」  腕を伸ばして、榊の体を包みこむように抱きしめた。 「はい。介護で迷惑をかけないように、健康で長生きを心がけます」 「そうだな。じゃあ、明日から俺と一緒に早朝のジョギングしよっか」 「……明日は、勘弁してください。それに、まだ腕の怪我が」 「あれ、怪我って、そろそろ動いてもいい頃合じゃなかったっけ? いつまで経っても始められないじゃん。ああ、それとも、今夜はめいっぱいサービスしてくれるっていう、新妻の大胆な宣言?」  ちゃかしながら、バスローブ越しにウエストのラインを撫でると、榊は目を細めて妖艶に微笑んだ。 「だったら、毎晩、絞りとってあげましょうか」  伸びた舌が、赤い唇をゆっくりと舐めていく。思わせぶりな仕草に、蓬莱は思わず、喉を鳴らして唾を飲みこんでいた。 「えっろ。なに、このパパ。エロすぎるんだけど」 「周だって、好きでしょう?」 「うん。大好き。大人だから」  言うが早いか、蓬莱は榊の頬に手を添えて、唇を押し当てた。 「んっ、ふぅ……そんなに、がっつかなくても。夜は長いんだし、もう、どこにも行きませんよ。それに、」  その先は声が小さすぎて聞き取れない。 「それに、なに?」 「周以外とは、もう、しません」 「おお。やっと、その言葉が聞けたか。書類出してきた甲斐があったわ」 「……馬鹿」 「そうそう。俺、バカだから、あんたに逃げられるのが怖くてさ。だから、今晩は足腰立たないくらい、がっついてやる」 「どうぞ、いらっしゃい」  艶っぽい流し目を送られれば、それだけで蓬莱は滾るものがある。 「では、いかせていただきます」 「ええ、どうぞ。というわけで、朝のジョギングは無理ですね」 「え、そういう魂胆で言ったわけ?」 「さあ、どうでしょう」 「いいけど。お望み通り、めちゃくちゃにしてやるよ」  蓬莱が宣言すると、榊は唇の端だけで笑った。  猛然と襲いかかり、蓬莱はもう一度、赤い唇を塞いでやった。
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