口にするのは恥ずかしい

8/15
前へ
/300ページ
次へ
 その後、プレゼントの手袋を選ぶというリックの買い物につきあったため、蓬莱が帰宅したのは思っていたよりも遅い時間になっていた。 「クリニックはもう閉めたんだ?」  榊が叔父から譲り受けた自宅は、個人経営の診療所を兼ねている。入口には診察終了の札がかかっていた。  蓬莱は最初、患者としてここへ入院することになった。退院後も帰る家がないとごねると、空き部屋を使っていいと言われ、そのうえ、いまの勤務先まで紹介してくれた。  居候と同居、同棲の違いはなんだろう。  体の関係だけではない気がする。 「今日は混んでいなかったんです。夕飯の用意もできてますよ」  休みの日だから自分が作ると蓬莱は申し出たが、作りたいメニューがあるから、帰りはのんびりしてきていいと榊に言われていた。 「で、今日の新作はなに?」  キッチンからは食欲をそそるいい匂いが漂っている。 「クラムチャウダーとアクアパッツァです。シメにリゾットもありますよ」 「なんか、すごいごちそうじゃん。いったい、どうしたの? ダイエットは返上なわけ?」 「いいんです。美味しく食べるために、日頃は我慢していたんですから」 「ごめんごめん。ご飯の準備、これ、いろいろ大変だっただろ?」  蓬莱が皿を並べるのを手伝おうと立ち上がると、不意にうしろから抱きしめられていた。 「え、先生?」  背中に覆いかぶさるように重なった榊が、そっとつぶやく。 「お誕生日おめでとう、周」 「え、うそ。どうして。俺、言ってなかったよね?」  榊には、一度も伝えていない。今日会ったリックにも言わなかった。  今日は、蓬莱の二十五回目の誕生日である。 「カルテには生年月日が書いてありますから」 「あ、そうか。書いてはあるけど、でも」 「あの、勝手に個人情報を見たこと、もしかして職権乱用だって怒ってますか?」  へその前で組みあわされた榊の手に、ぎゅっと力が入る。冷えた指先をなだめるように、蓬莱は白い手を撫でさすった。 「まさか。そんなわけないだろ!」  怒っているわけではないのに、どこか咎めるような声が出てしまう。
/300ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1234人が本棚に入れています
本棚に追加