母をたずねて中央線

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母をたずねて中央線

私の家は桃源郷の真ん中、ちょうど春休みには桃の花が私のグルリをピンクに染める。時季が終わって『景色が味気ないのもアカン』というて、父さんは休耕地にコスモスが咲くようにしてある。プロの写真家が撮影に来るくらい。かというて住んでる人間までメルヘンなわけもなく、じいちゃん・ばあちゃん・父さんに、道を隔てた桃園は父さんの妹一家が5人。母さんはいない。私が3歳くらいの時に出て行ったらしい。不自由はない。じいちゃん・ばあちゃんは若々しくてバイタリティの固まりのような人。 「人間、ホテホテ笑うてたら  大概のことはやっていける」 が、二人のスローガン。 畑を耕すようにグイグイと 学校行事もママ友との付き合いも こなしてくれた。 不足は隣のおじちゃん・おばちゃん(父さんの妹夫婦)が補ってくれたし、従弟達も優しい。有り難いことにウチにはお金もある。桃の他にも利のいい作物をたくさん栽培しているおかげ。と、祖父母の溺愛、隣の従弟達に申し訳ないくらいの。和歌山では進学率の良い中高に車送迎で通わせてもらい、『いい塾がある』と聞けば峠を越えて阪和線に乗り天王寺まで通わせてくれる。至れり尽くせりに育ててもろうた、 『母さんがいなくて可哀想』を旗印に。 「世の中には両親揃うてもお金やらで、  気持ちでギクシャク暮らしてる人が  たくさんいるのに有り難いことや」 これは私の通う天王寺の塾のタニヤン先生の言葉なんやけど、ホンマにそう思う。解ってるけど、 「東大やろうと他所はアカン!」 ばあちゃんの“他所キライ“には困る。 「東京行ったら”東京の虫”が付いて  和歌山に帰らんようになってしまうんや」 「どのみち、下宿やないと通える  大学なんてないよ」 ブツブツ文句を言うと、父さんが 「名古屋大学までなら電車でも車でも  週末は帰れるやろう?それから  卒業したら家には戻るでどうや?」 妥協案を出してくれた。 image=513402166.jpg
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