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「吉志君、ちょっと」
ちょうど午前中の業務を終え、ようやく一息つけると思った矢先に主任から声を掛けられ、菫は姿勢を正した。渋い顔の主任にこれからの長々とした説教を覚悟する。案の定ねちねちとここ最近の不良品率の高さを責め立てられた。
「まったく、ようやく使えるようになってきた山崎も辞めてしまって。ただでさえ人手が足りない時なんだから、しっかりしてもらわなきゃ困るんだよ」
「……すみません」
「それじゃ、頼んだからな」
菫を睨み付けた後、踵を返した主任の毛髪の薄くなった後頭部を見つめながら、盛大なため息をつく。
「……いじやぜか」
思わず郷里の方言で吐き捨てた菫の微かな声を、ダンボのような大耳で聞きつけた通りがかりのパート従業員、中道さんが立ち止まってくすくすと笑い出した。
中道さんはこの工場で十年以上勤務するベテラン従業員だ。ここに配属された当初は、やれ仕事が遅いだの声が小さいだのと散々文句をつけられていたが、部署の飲み会で同郷人であることが判明した途端、人が変わったように菫に優しく(そしてますます口やかましく)接してくるようになった、実に九州人らしい女性である。
「すみません、つい……」
「よかよか。あげんやぐらしか男んこつば気にせんでもよかっさ」
豪快に菫の背中を叩いた中道さんが、声をひそめて続けた。
「そんでも、吉志くん、大丈夫ね? 最近元気なかごたるよ。ちゃんとご飯ば食べよると?」
「……はあ、一応」
「ここは入社して一、二年で辞める若い社員さんの多かけんね。山崎君もそうやったけど、辞める前はみな目ば虚ろになって幽霊のごたるよ。吉志くんもそうならんように気を付けんば」
背後に別の従業員の気配を感じた中道さんは「それじゃ、お疲れさまです。ちゃんと休憩とりなさいよ!」ともう一度菫の背中を強く叩いて去って行った。
菫の前では方言丸出しの中道さんだが、いまだ郷里のアクセントが抜けない菫と違って完璧な標準語を使いこなせるのだ。その鮮やかな変貌ぶりを狐につままれたような気分で見つめながら、菫は軽く会釈をした。
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